こんにちは。

今朝はずいぶん冷え込んでいた。
寝ている間に冷えると関節の痛みがめちゃくちゃ増すので、電気敷毛布が必須なのだけど、そこからはみ出して寝ていたら、ご利益はないに等しい。
今朝の敷き毛布のご利益は、限りなく低かった。😭
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息子(27歳・重度自閉症)は、午前中は亭主と買い物お散歩へ。
末っ子は寝て曜日を満喫している。
長女さんは、午後から囲碁クラブにでかけるようだ。
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あちこち痛むけれども、日曜なので、朝から教会学校へ。
歩数稼ぎのために、車を使わずに、徒歩で出かけたけれど、寒いし痛いし怠いしで、歩き始めて5分で早くも後悔した。でも教会にたどり着くころには、身体が暖まったためか、関節の痛みが和らいだので、歩いて正解だったのだろう。
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教会学校のお話は、マタイによる福音書の第10章についてだった。
イエスは身近にいて教えを受ける者たちのなかから、十二人を選んで使徒とし、ツーマンセルで、そして手ぶらで、各地に派遣したという。
そこで、イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊を追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやす権威をお授けになった。
マタイによる福音書 第10章 1節
医療の未発達だった時代に、イエスの使徒たちに出会えた病気の人々は、本当に幸運だったと思うけれども、奇跡のような恩恵を目の当たりにしても、人々の心が必ずしも信仰に向かうことがなかったことに、人の抱える業の深さというか、生来のダメさを感じて、いい意味ではなく親近感を覚えてしまう。
今の時代だって、病院で病気を治してもらっても、医療スタッフに心酔して、心からの感謝を捧げ、後の人生を大切にしようと本気で思う人が、どれほどいるだろう。
私なども、かかりつけの歯科で、行き渋って悪化させた虫歯を散々治療してもらっているのにも関わらず、感謝の気持ちよりも、恐ろしいからできればもうお目にかかりたくないと思う気持ちの方が若干強かったりするし(患者のために辛口の説教をなさる医師なのだ…)、指導されたように歯磨きするのが億劫で、自己流に簡略化してしまう日も多い。
歯科の他に、通っている病院が三つもあるけど(内科、心臓血管外来、精神科)、どの先生方にも顔向けできないような生活習慣(運動不足と短い睡眠)を、なかなか完全には改められずにいる。私のようなものは、たとえイエスの使徒に出会って健康にしてもらっても、また身体をダメにしてしまうことだろう。
おそらく二千年前のユダヤの人々も、多くは、私と似たような感じだったのじゃないかと思う。あっけなく手に入ったものを、人生かけて全力で大切に出来る人はとても少ないから。
なんてことを、つらつらと考えながらお話を聞いていて、いまこうして普通に暮らせることに感謝しつつ、今年こそはしっかり体調を整えようと、改めて思った。
帰りの道のりは、少しだけ楽に感じた。
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さて、もうすぐ夕方だけど、できれば古典の記事を書いてしまいたい。あと、AIイラストさんの呪文の作り方も、もっと覚えたい。