湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

ねこたま日記(3月20日)

こんにちは。

 

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長女さん(27歳・ASD)は、今日はデイケアと通院。昨日は就労施設の作業を頑張っていた。

 

(…就労施設と書いたはずなのに、「呪太郎施設」になっていたので、慌てて修正した。誤変換にもほどがある。😱)

 

末っ子(19歳)は、春休みを満喫中。今日も友達と遊びに出かけた。

 

午前中、介護施設がお休みの息子(26歳・重度自閉症)と亭主を車に乗せて、食材の買い出しに出かけた。

 

今夜はすき焼きとのこと。楽しみだ。

 

 

(_ _).。o○

 

新型コロナに二度感染した我々夫婦は、どうやら味覚の一部を損なったらしい。

 

どうも、甘み以外の味覚がおかしくなってるようで、亭主が「塩味が薄い」という料理を、私は「塩味は普通だけど、妙なエグ味がある」と感じたりする。

 

二人とも、感染中のように、全く味が分からないというほどではないけれど、感染以前とは違ってしまっているのは間違いない。

 

 

亭主の勤め先の大学では、感染後、「ぼーっとして、何も手につかない」という学生が複数いるという。

 

研究に支障をきたすレベルで能力が落ちてしまい、博士論文の執筆を延期せざるを得ない大学院生もいるのだとか。

 

私がコロナ後遺症からある程度回復するまで、だいたい七ヶ月ほどかかっている。いまでは、ブレインフォグのような症状はほとんどないけれど、日によって、突発的な動悸や息切れが起きることはまだある(昨日は特にひどかった)。

 

若い人たちは、きっと私よりは回復力が高いだろうけど、十分な養生をしたくても、状況が許さない場合も多そうだ。

 

感染だけでなく、ワクチンの後遺症もあるように思う。

 

接種後の症状は、肺炎の発症を除けば、コロナ感染とほとんど同じだった。あのワクチンは、どうも色々とヤバいのではないかと、私は内心思っている。

 

最初の感染の後遺症は、どういうわけか、ワクチンを打ったあと、劇的に消失した。

 

世界的にそういう事例は結構あったようで、ワクチンによって、体内で、何かがリセットされたのだろうと言われているのをニュースで見たこともある。

 

新型コロナの後遺症を維持していた「何か」が、ワクチンによってリセットされたのだとしたら、それは一体、何なのか。

 

昼ごはんのとんこつラーメンを食べながら、コロナもワクチンも、何かとんでもないことを人の体にしているんじゃないのかと話したら、亭主が、プラナリアを使った記憶実験の話を教えてくれた。

 

プラナリアといえば、身体を前後で真っ二つにしても、両方がプラナリアとして生き延びることで知られている。脳がないはずの尻尾のほうにも、新たに脳が再生されるのだという。

 

そのプラナリアに、「光のある方にエサがある」ということを学習させる。プラナリアは光を嫌う性質があるけれど、学習によって、光のあるところに泳いで行ってエサを食べるようになるのだという。

 

「光あるところにエサがある」と学習したプラナリアの身体を上半身と下半身(という言い方でいいのかどうか不明)に切断すると、脳のなかった下半身に脳が発生する。

 

学習済みの脳を持っている上半身は、ちょん切られる前と同じように、光の元にエサがあることを知っている。

 

では、下半身側に新たに発生した脳はどうだろうか。

 

下半身側の脳は、細胞分裂によって作られたばかりの脳であるから、学習を経験していない。

 

ところが、真っ新なはずの下半身の脳も、「光あるところにエサがある」ことを知っているのだという。

 

このことは、何を意味するか。

 

「光あるところにエサがある」ということを学習したプラナリアの脳細胞は、その情報をRNAに保存して、これから生み出される新たな脳に伝えているのではないか、つまり、学習というプロセスを経ずに、情報を次世代に直接伝えるのではないか、という仮説が立つのだ。

 

学習によらずに、生まれつき持っている判断力や行動原理は、普通、本能と呼ばれるものだと思う。実験室で、「光あるところにエサがある」と学習したプラナリアにとって、それは本能レベルで身に刻むべき情報なのだろう。

 

でも、人間の場合、汎用性のない情報をいちいち本能に刷り込んで次世代に伝えていては、移り変わる環境への適応力を損なわれることになる。

 

けれども、自分の代だけに限るならば、記憶情報をRNAに落とし込むことは、効率的であると言える。細胞の新陳代謝が起きるたびに学習し直さなければならないのは大変すぎる。

 

ヒトの長期記憶も、プラナリアの脳と同じやり方で維持されているのではないかという説があるのだそうだ。高齢になっても子ども時代の記憶が失われないのは、長期記憶を司る脳の海馬が、再生しつづける細胞に、RNAを通して記憶情報を写しているからなのかもしれない。

 

 

で、素人考えによる新型コロナの話に戻る。

(眉唾注意報)

 

新型コロナ後遺症が延々と続くのは、新型コロナウィルスが、患者の細胞のRNAを弄って狂わせたせいで、同じ状態の細胞が再生産され続けるからではないのか。

 

具体的には、ウィルスによって弄られた情報を持つ全身の細胞が、自分の免疫システムに敵認定されて、攻撃され続けていたからではなかろうか。

 

そして、新型コロナのワクチンがリセットしたのは、新型コロナウィルスが弄っておかしくしたRNAの情報なのではないか。

 

私の場合は、確かにワクチンの接種後に後遺症が軽減した。

 

それは、もしかすると、私の免疫システムに、「お前らが敵認定して攻撃している細胞は、敵じゃないから、攻撃をやめるように」と命令したからじゃないのだろうか。

 

そこだけ取り上げれば、ワクチンは良いことをしてくれたと言えるけれども、下の千葉新都市ラーバンクリニックのホームページの記事によると、このワクチンの免疫抑制は曲者であるらしい。

 

免疫学者の警鐘(mRNA型ワクチンについて)

 

一部引用させていただだく。

 

7)mRNA型ワクチンは免疫抑制がおきないと破綻する

 

 ・何らかの免疫抑制効果がないとmRNAが導入された細胞は免疫系に攻撃されて死んでしまう

 

 ・細胞が死んでしまうと抗原は産生されず免疫ができない

 

 ・mRNA型ワクチンは免疫抑制をおこしつつ免疫を誘導するというトリッキーなもの

 

 ・スパイクタンパク質の細胞内での大量産生がトリガーとなり制御性T細胞が活性化 
  → 免疫抑制がおきる

 

 ・帯状疱疹の増加、ガンの急速な悪化・増加、感染症の感染拡大(梅毒・サル痘など)
  → 打てば打つほどかかりやすくなる

 

 

 

ダメだろう、これは。

 

 

 

(_ _).。o○

 

これまで4回、新聞歌壇に歌を選んでもらったことがある。選ばれたのは、息子のことを詠んだものばかりで、それ以外の歌は全部ボツになっている。

 

私の歌を選んでくださった選者の方は、おそらく相模原障害者施設殺傷事件(2016年)を意識しておられたのだと思う。

 

最初に息子を詠んだ歌を投稿したのは、事件の翌年の2017年。事件の犯人の言動だけでなく、その後の世論のありさまにも、どうにもやりきれない思いが積み重なって苦しくなり、言葉を話さない息子のかわりに、世の中に思いを投げかけずにはいられなかったのだ。

 

たった31文字の表現に込めた思いは、私の予想を遥かに超えて、見ず知らずの方々にストレート伝わったようだった。歌って、すごい。そう思った。

 

けれども、それほど間をおかずに三首選ばれたことで、投稿するのが少し怖くなった。

 

ネットの普及に伴って読者を減らしているらしい新聞だけれど、それでもブログなどでつぶやくのとは桁違いの威力を持つマスメディアなのだと実感した途端、「新聞歌壇に掲載されるのにふさわしい、社会性を帯びた短歌」を詠まなくちゃいけないような、息苦しさを感じるようにもなった。

 

それで、六年ほど投稿をお休みしていたのだけれど、去年、どうしても新聞歌壇に投稿したい歌をいくつか詠んだので、葉書に書いて送ったら、一首選んでいただけた。六年ぶりに選ばれたのは、また息子を詠んだ歌だった。

 

 

 

短歌を詠むのは大好きだ。X(旧Twitter)では、付句のお題を使わせていただいて、よく詠んでいる。

 

息子や、家族のことを詠むのも楽しい。

 

 

けれども、詠んだ歌の全てが新聞歌壇に送って選ばれるようなものではないし、「選ばれるような歌」という縛りを意識すると、詠むのがつまらなくなってしまう。

 

たくさんある短歌結社のどれかに入って、自分なりの歌を詠めばいいのかもしれないけれど、お金もかかるし、世の中に開いている新聞歌壇とは違った、ある程度閉じた場での人付き合いは、手紙やメールのやりとりだけだとしても、どうにも億劫に感じる。

 

やっぱり、一人が気楽でいい。

 

Xだと、つい詠み捨て、詠み流しみたいになってしまう。

 

かといって、いままでのように、手元のメモ帳に書きためるだけでは少し寂しい。

 

というわけで、これからはブログに書こうと思う。