湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

大河ドラマ「どうする家康」(5)瀬名奪還作戦

NHK大河ドラマ「どうする家康」の第5回「瀬名奪還作戦」を見た。

 

 

奪還作戦、失敗していた。(´・ω・`)

 

本多正信松山ケンイチ)が、忍び働きをいやがる服部半蔵山田孝之)を口先三寸で丸め込み、家康から資金をせしめて、奪還作戦を決行。

 

けれども、瀬名の母親が密告したせいで、待ち伏せされた服部党は皆殺しにされてしまう。

 

瀬名のお母さん、「三河の、味噌は好きじゃ」って、言ってたのに…。

 

そして、家康と瀬名の裏切りを許すつもりのない今川氏真は、関口氏純夫妻と瀬名親子の処刑を決めてしまう。

 

Wikipediaによると、瀬名の母親は、関口氏純に嫁ぐ前は、今川義元の妾だったという説があるようだ。

 

一般的には義元の妹として知られるが『井伊年譜』『系図纂要』『井家粗覧』などによると井伊氏が今川氏へ人質として送ったところ、義元に惚れられ妾となり、義元は彼女を養妹とした後に家臣の関口親永に嫁がせたとされる。

 

Wikipedia「関口夫人」のページより引用

 

引用文中の「関口親永」は、瀬名の父である関口氏純のこと。

 

氏純パパの立場を現代風に言い換えてみると…

 

今川前社長の愛人(巴)と結婚するように命じられ、生まれた娘(瀬名)は、元はライバル関係だった下請会社の社長令息(家康)との政略結婚の駒にされ、その令息が勝手に敵対勢力(織田家)の傘下に入った責任を取らされて、現社長(氏真)に左遷された上、問答無用でクビになる。

 

どこからどう見ても、理不尽でしかない。😱

 

次回で切腹になるのだろうか。

見るのが辛い。

 

(_ _).。o○

 

前回の瀬名への虐待シーンなどもあり、ドラマの中の今川氏真への好感度が、どんどん下がっていく。

 

最初は貴公子っぽかったのに、いまではすっかり狂王子だ。

 

とはいうものの、氏真にしてみれば、桶狭間で父を討たれ、有力な家臣も多数失って心細いところに、頼みの綱だった松平勢の離反を食らったのだから、余裕と抱き合わせで正気も消し飛んだのだとしても、仕方がないようにも思う。

 

桶狭間の戦いの時、氏真は22歳くらいだったようだ。傾きかけた大国を背負って立つには、経験値が足りなすぎたのかもしれない。

 

でも家康だって、桶狭間では17歳前後だから、氏真よりさらに若かった。しかも家康が背負っていたのは長年今川に吸い取られて疲弊した三河の国だった。

 

戦国大名としての今川家は、このあと滅びる運命にある。国を失った氏真は、家康に保護されて後半生を送ることになるようだ。

 

家康にあって、氏真になかったものは、何だったのだろう。

 

厳しい生い立ち。

運。

愛される人柄。

信長の愛。

 

ほかにもいろいろありそうだけど、信長に見込まれたのが一番大きいような気がする。氏真と信長じゃ、どう考えても話が合いそうにないし。

 

(_ _).。o○

 

松山ケンイチが演じる本多正信は、ずいぶん変わり者のようだ。

 

Wikipediaを見ると、桶狭間の戦いでは家康に従って丸根砦攻めをして怪我を負ったと書いてあるのに、ドラマでは仮病を使って大高城への兵糧入れをサボったというので、家臣団の総スカンを食らっていた。

 

本多忠勝などは、血相変えて「あれは偽本多じゃ!」と叫んでいたけど、何かよほど腹の立つ経緯があったのだろうか。

 

瀬名奪還作戦も、悪ふざけ半分で請け負ったような印象だったけど、自分の立てた作戦で服部党の手練れが全滅したことで思うことがあったのか、本気を出したらしい表情で、家康に雪辱戦を願い出ていた。

 

戦のどさくさに紛れて、鵜殿長照と息子二人を拉致するという。この作戦は、たぶん次回成功する。

 

今川氏真の前で槍の試合を見せていた少年二人が鵜殿の息子たちだった。彼らは初陣で捕虜になり、瀬名親子と人質交換されることになる。今川が没落したあとは、二人そろって家康の家臣になるようだ。

 

(_ _).。o○

 

山田孝之が演じている服部半蔵は、1542年の生まれだというから、瀬名奪還作戦の行われた1562年には20歳くらいだったことになる。

 

半蔵をそそのかす本多正信は1538年生まれだから、四つ年上の24歳。

 

半蔵は服部党と呼ばれる忍び集団のまとめ役らしいのに、忍び働きを嫌い、下品で金に汚い忍びのものたちを軽蔑しているようだった。

 

人が住めそうもないあばら屋で暮らし、一人ぼっちで畦豆(あぜまめ)を拾っていた半蔵に、本多正信は無理やり金を押し付け、口先三寸で仕事を請け負わせてしまう。

 

家康よりも少しだけ年上の彼らは、この先ずっと家康を支えて、江戸時代を築いていくとになるのだけど、どちらも一時的に家康から離れることがあるらしい。

 

特に本多正信は、一向一揆に加担して、家康と戦うことになるという。その後しれっと家康の元に戻って重臣になるらしいけど、一体なにがどうなってそうなるのか、今からハラハラしてしまう。

 

(_ _).。o○

 

毎度蛇足の歴メシコーナー。

 

今回も八丁味噌が大活躍だった。

 

 

黒光する味噌をたっぷり塗った味噌田楽。

どんなお味なのだろう。

八丁味噌未体験なので、気になって仕方がない。

 

Amazonで、「八丁味噌使用田楽味噌」(マルサンアイ)というのを見つけた。味噌に、砂糖、水あめ、米酢、本みりん、あんずピューレ、かつおや昆布のエキスのパウダーなどが入っているらしい。

 

 

手軽に使えて、美味しそう。

あんず入りというのが興味深い。

 

農林水産省の愛知県の郷土料理のコーナーでは、赤味噌を使う味噌田楽が紹介されていた。

 

味噌田楽 愛知県 | うちの郷土料理:農林水産省

 

八丁味噌赤味噌の一種だけど、豆麹を使う点が、他の赤味噌と違うのだとか。

 

なんかとても味噌田楽が食べたくなった。

 

太りにくいお夜食として、いいのじゃなかろうか。

 

味噌じゃないけど、松山ケンイチ本多正信)が、かめに入ったお菓子っぽいものを食べていた。瀬名の子どもたちも、鵜殿長照の妹に、似たようなお菓子をもらっていた。

 

おかきに見えたけど、違うかな。