昨日の午前中、病院の待合室で読んでいた本からの引用とメモ書き。
六月半ばのこと、すべてを呑み込んでしまうような暑さ。涼しい気分に少しはなれるたった一つの方法は、池の蓮に目をやること。
建物がとても古くて、瓦葺きだからなのか、夜はたとえようがないほど暑いので、御簾の外で寝た。一日中、ムカデが落ちてきて、部屋のなかへ大きな蜂の群れが飛んでくるのは、ひどく恐ろしかった。(……)
秋になったけれど、わたしたちの泊まったみすぼらしい建物には涼しい風が少しも入ってこない。かわりに虫の声は聞こえた。
この本、好きすぎて、なかなか読み終わらない。
ページごとに思いが深くなったり、調べ物をしたくなったりする。
フィンランドの三十代の独身女性である作者が、「枕草子」と出会い、時空とテキストの壁紙を超えて清少納言に会うために京都を訪れる。
閉塞気味で固まりかけていた作者の人生が、清少納言のことばに触れて、少しづつ柔軟さを取り戻し、躍動していく。その過程がほんとうに愛おしい。
上に引用したのは、「枕草子」の一節。
旧暦の6月は、いまの暦では6月下旬から8月上旬にあたるという。
とても残念なことに、本書に引用されている「現代語訳」には、「枕草子」原文の、どの箇所に相当するかという情報がない。
「枕草子」の論文も書いている亭主に検索を頼んで原文を見つけてもらったので、そちらも引用してみる。
六月十よ日にて、暑きこと世に知らぬほどなり。池の蓮を見やるのみぞ、いと涼しき心地する。
(「枕草子」三十三段 小白川といふ所は)
屋のいと古くて瓦葺なればにやあらん、暑さの世に知られねば、御簾の外にぞ、よきも出で来、臥したる。古き所なれば、蜈蚣(むかで)といふもの、日一日落ちかかり、蜂の巣の大きにて付き集まりたるぞ、いと恐ろしき。
(「枕草子」百五十三段 故殿の御服のころ)
秋になりたれど、かたへだに涼しからぬ風の、所からなめり、さすがに虫の声など聞こえたり。
(「枕草子」百五十三段 故殿の御服のころ)
ミア・カンキマキ氏の引用は、「枕草子」のあちらこちらの章段から、暑さに辟易している記述を切り取って集めてある。
引用された文の前後には、貴族社会の催しの優美で絢爛豪華なさまが記述されていて、そちらのほうが章段のメインなのだけど、現代人が我がことのように共感できるのは、まちがいなく暑さの記述のほうだと思う。
京都の真夏のクソ熱さは、私も多少体験している。
もう何年前になるだろう。
長女さん(26歳)や息子(24歳・重度自閉症)がまだ小学生で、末っ子が幼児だったころ、兵庫県への帰省の帰りに、真夏の京都に一泊したことがあった。
八月の京都は、殺人的に暑かった。
NHKで放映されたドラマ「陰陽師」の影響で、晴明神社に行ってみたい、などと提案したのは私だったけど、到着した瞬間に後悔した。境内に日陰などなく、容赦なく照りつける太陽に、調伏されそうになりながら、売店でグッズを買って退散したのを覚えている。
あのヤケ糞のような暑さを、清少納言は、クーラーも扇風機もなしに、強靭な美意識を精神的な涼に変えながら耐え抜き、書き残したのだ。
作者のミア・カンキマキ氏も、よせばいいのに真夏の京都に降り立って、みすぼらしい安宿で熱射や時差ボケやムカデに苦しみながら、清少納言につながる気配や片鱗を探し続け、そして出会う。
ゆっくりでも、今年中には読み終えよう。