ミア・カンキマキ「清少納言を求めて、フィンランドから京都へ」に引用されている、「枕草子」の現代語訳がとても面白いので、書き写してみた。
胸がときめくもの
いい男が車を門の前にとめて、使用人にとりつぎを頼んだりしているとき。
髪を洗って、メイクをして、香を薫きしめた着物を着ているときーー見ている人がいなくても、充実感がある。
待つ人のある夜。風が雨足を窓にたたきつける音に、ふいにはっとする。
まるで洋画のシーンのようだ。
いや、昭和の日本でもアリな気がする。
少しだけ前の時代の、二十代から三十代前半の、感受性豊かな女性の日常の一コマが思い浮かぶ。
フィンランド語に訳されたものを、あらためて現代日本語に訳すという過程を経ることで、この時代も文化も不詳な、不思議に澄んだ空間が浮かび上がるようになるのだろうか。
原文のほうも引用してみる。
第二十九段
心ときめきするもの。雀(すずめ)の子飼ひ。ちご遊ばする所の前渡る。
よき薫(た)き物たきてひとり伏したる。
唐(から)鏡の少し暗き見たる。
(↓現代語訳はここからになる)
よき男の車とどめて案内(あない)し問はせたる。
かしら洗ひ化粧(けさう)じて、かうばしうしみたる衣(きぬ)など着たる。ことに見る人なき所にても、心のうちはなほいとをかし。
待つ人などのある夜、雨の音、風の吹きゆるがすも、ふとおどろかる。
古文で読むと、寝殿造の家に住む平安貴族の女性の日常が素直に想起されるので、洋画にも昭和にもならない。使われる言葉の違いが、文章から浮かび上がる情景を根こそぎ入れ替える。
言葉が違っても、「心のときめき」だけはほとんど変わらないように感じられるのが面白い。
この本は本文が面白いだけでなく、補注の情報もたっぷりあって、それがまたたまらなく面白い。
おかげで1ページ読むごとに引っかかって立ち止まるので、なかなか先に進まない。たとえば、
『カレワラ』
エリアス・リョンロット(一八〇二〜一八八四)が編纂したフィンランドの国民的叙事詩(一八三五、一八四九)。卵から産まれた賢者ワイナモイネンを中心に、物事の起源を語る歌で森羅万象と通じ合う世界が描かれる。
19世紀に、日本で言えば古事記か万葉集みたいな作品が編纂されるというのも凄いけど、「卵から生まれた賢者ワイナモネン」が、もう気になって気になって仕方がない。
卵生の賢者。 魚類なのか、鳥類なのか、爬虫類なのか。よもや昆虫だったりしないのか。
「コトバンク」に、解説があった。
ワイナモイネン
Vaïnamoïnen
フィンランドの叙事詩『カレワラ』の主人公の英雄。大気の乙女イルマタルの子として海中で生れ,波に運ばれて8年間海上を漂って暮した末に上陸して,当時まだ裸であった大地に木を生えさせ,農業を始めた。700年以上も母の胎内にいたため,生れたときから老人で,そのため若い娘たちに嫌われて,求婚には何度も失敗を重ねたが,非常な知恵者で,魔法と音楽にすぐれ,カレワラ (フィンランド) の土地に多くの恩恵を施した。
(コトバンクより引用)
なんと、お母さんは「大気」だった。
老人状態で生まれて婚活に苦労するなんて、気の毒すぎる。枯れ専の若い子はいなかったのか…。
どういう事情で妊娠期間が700年にもなったのか。長すぎる。「古事記」の神々なんて、親の神様が柱の周りを回っただとか、目玉を洗ったとかで、瞬時に誕生しちゃうのに。
こんな調子だから、この本を読み終わるのに、あと数ヶ月はかかりそう。