今日の健康観察日記
引き続き、好調。
しかし無理はしない。
膝その他の関節の痛みが復活しないのが不思議で仕方がない。唯一残っている手の握りにくさ、指関節の曲げにくさも、近年にないほど軽くなっている。iPhone持つのも痛かったのが、嘘のようだ。
良くなった理由はわけらないけど、生活からストレスになるようなことが減っているのは確かだ。
それと、歯の治療をしたことも、もしかしたら関係あるのかも。長いこと放置してたら根っこから傷んでいた歯を抜いたのだ。炎症も治っている。
読書
佐川光晴「縮んだ愛」読了。
読後、とんでもなくモヤモヤして、読み直したのだけども、どうにも落ち着かない。
他の方々の感想文なども探して読みながら、結末について、ずっと考え続けている。
物語は、小学校の障害児の学級を受け持っているという、五十歳の男性教諭の視点で語られていく。他人の視点は混じらない。
だから読者は、主人公が「語らない」情報については、知ることができない。
正直に語っていると、主人公は言う。
わたしはこれから、この三、四ヶ月程のあいだにわたしを襲った生活の変化について、できるだけ正確かつ、正直に報告してみようと思います。それはわたし自身にとって、今後の人生を送っていく上で是非とも必要な作業であると同時に、読者である皆さんにとっても、なにかの参考になるのではないか。
(「縮んだ愛」から引用)
私もそう信じて読んだ。
たしかに彼は、自分のなかにある、不純でグロテスクな部分についても、隠すことなく語っている。
表面的には、真面目に障害児教育に取り組むベテラン教師だけれと、心の内側には情熱も意欲もなく、自分の仕事の不毛さや諦めの心を持て余して、酒に逃げて暮らしている。
家族との会話はほとんどなく、妻とは完全に気持ちがすれ違い、家庭内別居状態が長く続いていた。
息子は成績優秀だけれども、イスラム世界に夢中になり、自室の壁をアラベスク模様で埋め尽くしている。息子を心配して寄り添っていた妻も、いつのまにか息子以上にイスラム教に傾倒し、家のなかでブルカをかぶって暮らすようになる有様。
そんな妻子を見ても、主人公は話し合うことすらせず、傍観している。
どうにも人間的魅力に乏しい主人公の一人語りはものすごく退屈で、かなり最初のほうでうんざりしてしまうのだけれども、途中で放り出さずに読み続けることができたのは、彼の語る障害児教育の現場の話が、なんだか妙にリアルだったからだ。
主人公の職場である小学校の障害児学級…いまで言うところの特別支援学級に、私の息子も6年間在籍していた。障害の重い息子の付き添いで、頻繁に教室に入っていたから、保護者として、その現場の様子は十分に見聞きしている。
6年間、いろいろなことがあったけれども、息子に直接関わってくださった先生方は、よい先生方ばかりだったと思ってる。
いや、思いたいと思っている。
でも、心の中まで見たわけではないから、「本当はどう思っていたのか」までは、わからない。
薄情といわれるかもしれませんが、教員とは学校という限られた場所で子供を教育するのが仕事です。学習塾と違い、学校では学級活動を始め、集団の中でのふるまい方を身につけさせるのも教育のうちではあるけれども、それはあくまで学校でのふるまい方を教えるわけで、それ以上のものではありません。
そのあたりのことを勘違いして、家庭でのしつけは棚に上げて学校にばかりめくじらを立てる親はあとを断たないれど、児童として学校にいるあいだならまだしも、卒業して十年も経つ教え子の面倒など見られるわけがないではありませんか。
わたしも、毎年養護学校の文化祭には顔を出し、その場でかつての教え子や親御さんたちから近況報告を受けます。しかし、それとて年に一度のことだと思って出掛けていくのだし、それから先は年賀状だけのつき合いにならざるを得ないわけです。障害児が軽度であれば、成人後も自宅から近隣の作業所に通って働くことも可能です。それも難しい子供は養護学校を卒業したあとは親元を離れ、それこそ地方の施設にあずけられることも多く、その時点で音信は絶えます。
街で親御さんと顔を合わせても、むこうが口に出さない限り、こちらから子供の近況を訊ねることはありません。それはもう仕方のないことだとあきらめるしかないわけです。
(「縮んだ愛」から引用)
これを薄情とは思わない。
むしろこちらでも、「学校という限られた場所」だけのつきあいだと思っていたし、それ以上の期待をかけるものではないと思っていた。
だからこそ、息子のかつての恩師たちの何人かが、進学先の文化祭や、卒業式に来てくれたとき、そしてそれが通りいっぺんの義理などではないと確かに感じたとき、なんて有り難い先生方だろうと思ったのだ。「限られた場所」から出てしまったにも関わらず、「むかし担任だった先生方」が息子のために時間を割いてくれたということに、純粋に驚いたのだ。ここまでしてくれるのか、こんなに心を残してくださっていたのか、と。
けれども、次のような独白は、読みたくはなかった。
自慢ではないけれど、わたしは障害児に足し算を教えるのは上手いのです。それに音楽も得意です。この年の男性教員にしてはめずらしくピアノも弾けるし、鈴やタンバリンを持った彼らと一緒に楽しいセッションだってできます。
ところが、これがわたしの悪い癖なのてずが、そんなときでも不図、こんなことは今だけのことなのだ、という思いが頭をよぎってしまう。それは子供たちや同僚の教員にも伝わるようで、いつの頃からかわたしの受け持つ障害児学級はそこだけでまとまってしまい、学校全体へとは広がっていかないようになりました。
わたし自身、これではいけないと何度も思おうとしてきたのですが、どうしてもあきらめから抜け切れないのです。ひとつだけ弁解すれば、それはわたしがあきらめきれないからでもあるのでしょう。つまり、わたしは心のどこかで社会へ出た彼らが行き場もなくしだいに衰えていくことに責任を感じているようなのです。
直接かかわった子供だけでもすでに五十人は越えているのだし、責任といっても具体的になんのことやらわかりません。したがって、こんな悩みなどしょせんは悩むための悩みであって、そんな暇があるなら、目の前にいる子供たちをもっと大切にしてやればいいのでしょうが、それができない。
(「縮んだ愛」から引用)
不愉快だが、こんな先生も、きっといるのだろうと思う。
いや、積極的に記憶から消したおかげで思い出しにくくなっているけど、確実にいた。
そして、悔しいことに、「こんなことは今だけのことなのだ」というのが、ある意味否定できない現実であるのを、私も身をもって知っている。
特別支援学校を卒業して二年になる息子は、二十歳になったいまでも「勉強」したがっている。
けれども、息子が学校で授業を受けることは、もう二度とない。
卒業後、しばらくの間は療育を続けていたけれども、私が体を壊してしまってからは、やめてしまった。
「おべんきょう、する」
と言いながら、訴えるような目を向ける息子を見るたびに、どうしようもない気持ちになる。
「縮んだ愛」の主人公とは違って、私は息子の未来を完全に「あきらめて」いるわけではない。まだまだできることはいくらでもあると思っているし、実際にある。けれども現状、なにもできない。いまの私では、どうにもならない。こんな鬱なんか患って、薬ばっかり飲んでいるような母親では。
だからこそ、現役の教師であり、現場への影響の大きいベテランでもある主人公が、障害児たちの未来を社会につなげていく努力もせずに、可能性を見限って「社会へ出た彼らが行き場もなくしだいに衰えていく」などと決めつけたあげく、勝手に「責任を感じている」ことに、強い腹立ちを覚えるのだ。
主人公は、社会的には善良な人間であるかもしれないが、長い目で見れば、障害児に対して害をなす存在だ。
彼の内面の無気力と、障害児教育に対する慢性的なあきらめの気持ちは、知的障害者に対する従来の悪しき固定観念を支持し、障害児たちの未来を閉塞したものにすることに荷担するものである。こんな先生は、私の立場から言わせてもらえば、老害のようなものである。いらない。
ちなみに息子の学校での体験は、この主人公の言うような「今だけのこと」では終らなかった。
最重度級の重い知的障害と自閉傾向を持ちながら、息子は新しい経験を喜び、人とふれあうことを好み、学ぶことの好きな大人になった。いろいろな人に愛される大人になった。それは、がっぷり四つに組むようにして関わってくださったすべての先生方や、級友たちの力によるものだと思っている。「縮んだ愛」の主人公に、息子の恩師たちの爪の垢を腹一杯食わせてやりたい。
さて、善良な市民であり、かつ、ろくでもない老害の側面をも持つ教師である主人公は、物語の終盤、あろうことか、殺人未遂で逮捕されてしまう。
それまでの主人公の一人語りを信じるならば、それはありえないことのはずだった。
おそらく彼は無実であると私も思う。
しかし主人公にはアリバイがなかった。
意識不明の状態になっている被害者が、バールのようなもので撲殺されかけた時、どこにいて何をしたのかを、主人公は最後まで語ろうとしない。
つまり、八月十一日の朝、わたしはたしかに家を出はしものの、すぐには草津に向かわなかったわけで、そこに空白の一日が存在します。もちろんわたしの記憶まで空白だったというわけではなく、その日のことは刻明に思い出すことができるのですが、わたしとしてはそれを誰にも話したくはありません。
無実の罪を被せられて残りの人生を台無しにされそうなときになにを悠長なことをといわれる方もあるでしょうが、誰にだって自分以外の他人にはどうしても知られたくないことの一つや二つはあるはずです。
(「縮んだ愛」から引用)
結局、読者にも警察にも弁護士にも家族にも黙秘し続けて、最終的には無実の罪をかぶって刑を受けるつもりであることを語って、物語は終わってしまう。
なぜ彼は罪をかぶろうと思ったのか。
そして、決して語ろうとしなかった空白の一日に、何をしていたのか。
小説のあちこちを何度も読み返して、いろいろ考えた末に、一つの可能性に思い当たった。
完全な家庭内別居だった妻のことを、彼は愛しているという(最後にそう語っている)。
お互いに愛し合いながら、この夫婦は相手のことを全く理解していなかった。にもかかわらず、主人公も妻も、お互いに添い遂げようと心に決めている。
そして、刑期を終えて帰宅したなら、妻とともに、殺人未遂事件の被害者となり、現在意識のない人物(かつて主人公が勤めていた小学校に在籍していた粗暴な問題児)の介護をしていくつもりであるともいう。
被害者が意識を取り戻して犯行当日のことを警察に話せるようになってしまえば、主人公が犯人でないことがバレてしまうわけだけど、主人公はそうならないことを願っている風でもある。
主人公が、たとえ殺人未遂罪を被ったとしても語りたくない、空白の一日に、何があったのか。
作中でははっきりとは語られないけれど、示唆する部分はあったと思う。
妻の側の問題から、夫婦間がセックスレス状態であったこと。
主人公の自宅に何度か通ってきていた被害者(牧野)と、その友人たちが、酒のつまみになる差入れとして豚の睾丸などを持ち込んでいたこと。
また、豚の睾丸の刺身というのは、栄養ドリンクを固めたような味で、ちっとも旨くない上に、せいぜい二切れが限度といった代物だけれど、効果はてきめんで、ただでさえうるさい牧野が余計にはしゃいで仕方がありません。わたしも数年来なかった力の漲りを感じて、残念に思いながらも喜んでいると、牧野にすかさず見破られて、
「先生、いい加減に山崎の気持ちに応えてやれよ。からだは正直だぜ」
と、からかわれることになるのでした。
(「縮んだ愛」から引用)
こんな告白もある。
それにわたしは助平の方ですから、年頃の女の子たちがサラシに短パンといった姿で恥じらいもなく胡座をかいていたりすると、もうなんともいえません。
(「縮んだ愛」から引用)
空白の一日に、主人公は、風俗にでも出掛けていたのではないか。
それを告白すれば確固たるアリバイとなり、殺人未遂罪からは逃れられるかもしれないけれども、ようやくお互いに向き合いはじめた妻との溝は、以前よりも深くなるかもしれない。
もしもそうだとしても、これは完全に間違った落とし前のつけかたであって、主人公は結局は逃げているだけだとも言える。彼が直視しなくてはならない罪は、本当はもっと別のところにあるはずなのに。
「縮んだ愛」というタイトルは、谷崎潤一郎の「痴人の愛」のもじりではないかという説があるそうだけども、たしかにここで描かれている愛は、見るも無惨に縮んでいる。そして一層取り返しのつかない方向へと窒息していっている。
この作品にはあとがきがあって、作者がこのように語っている。
この人物を主人公とする物語を書こうと思いついたとき、作者であるわたしにはおおよそ次のような考えがありました。それは小説にしろ実話にしろ、これまで障害児についてなにごとかを語る場合、そのほとんどが親子の関係を主軸にしている。たしかに障害児の存在を最も真剣かつ申告に受けとめることができるのは親もしくはきょうだい等の血縁者だろうけれども、それをもう少し社会的な広がりのなかで語れないだろうか、ということです。
(「縮んだ愛」あとがきから引用)
その考えは、たしかに本作で成し遂げられているとは思う。
でも、どうしようもなく愛の縮んだ教師の視点で語られた障害児たちの存在は、どうにも悲しく、希望がなさすぎた。
作中で、同学年の児童にひどく殴られて学校に来れなくなってしまった自閉症の子ののその後は不明。彼にだって明るい未来はあったかもしれないけれど、主人公視点で語られる物語のなかに、それを見いだすことはできない。
殴った側の児童は、のちに牧野として主人公の前に現れ、殺人未遂事件の被害者として意識不明の状態となるわけだが、彼もおそらくは何らかの発達障害を持っていることが推測される。知的な遅れはなかったとしても、彼の未来は重度の自閉症の子供たちよりも、希望の薄いものとなった。
作者は私よりも少し若い人であるらしい。
「縮んだ愛」が出版された2002年ごろは、いまよりもずっと、知的障害児に対する理解は低く、世間の差別意識も強かった。
もしも、同じようなテーマで作品が書かれることがあるなら、もっと違うタイプの主人公になるのだろうか。
なってくれなくては困る。