このところ、毎朝白目に水ぶくれ状態である。
たいした症状じゃないんだけど、かなりイラつく痛さなのと、視界が悪くなるので、毎朝ちょっと困っている。
今朝もボロボロ落涙しながら、長女さん息子を学校へ送り届けた。教室へ向かう途中、校長先生を初めとして、いろんな人に挨拶したけど、もしかしたら、なんか妙な具合に誤解されてるかもしれない。気を使わせていなければいいのだけど。
五年前、バセドウ病になったときも、病気の症状で震えがとまらなくて、息子を見てくれていた心理の先生に、誤解にもとづく大変な心配をかけてしまった。先生は、私がいろんな人の言葉に深く傷ついて、震えながら子供と出歩いているのだと思い込み、面会のあと、一緒に電車に乗って、私を息子ごと抱きかかえるようにして、途中の駅まで送ってくれたのだった。
たしかに当時、息子を通わせていた未就学障害児のための通所施設の先生たちと色々あって、ときどき震えるほど怒ってはいたけれど、「傷ついて震えている」というのは、私にはありえないことである。きっと、よっぽど頼りなく見えたのにちがいない。
未就学障害児のための通所施設といえば、あそこはほんとに気持ちのわるいところであった。なにしろ、話が全く通じないのだ。同じ人間で、しかも重度の知的障害児を相手にしようという職業でいて、ここまで「分からない」というのはどうなんだろうと、今でも思う。
私 「少しでも気持ちを話せるようになってほしいんです」
施設「こんな子供に言葉を話させたいなんていってくる親、オタクのほかにいませんよ」
私 「偏食を治したくて、いろいろ工夫してるんですけど」
施設「そんなの、親が偏った食事出してるから、子供も偏るんだよ」
私 「早く歩けって言われても、道を歩いてると、しょっちゅうパニックを起こすんですけど」
施設「手を強くひっぱって引きずるようにすれば、歩けるでしょうが」
私 「物をよくみるのが苦手なので、色々練習してます」
施設「そんな机上の訓練なんて、何の役にも立たない!」
私 「この子、字が好きだから、公文の教材とかやらせてみてるんですけど」
施設「(馬鹿にしきった顔で)そんなもの、できるんですかあ?」
私 「昨日、この子、初めて、おかあさんって言ってくれたんです」
施設「・・・・(無視された)」
私「将来のことを考えて、必要なことは自分でできるようにしておきたいんです」
施設「そんな先のことを考える必要もないでしょう」
トドメは、これである。
施設「あなたほんとにえらいですよ。難病児と重度の自閉症児抱えて、よくやってると思いますよ。いやー、ボクにはとても、マネできないねえ」
いろいろあって、ここの施設に息子を通わせるのをやめるとき、私が行くとケンカになると思ったのか、亭主が一人で談判に行った。そのとき、指導課長は次のように言ったそうだ。
「訓練すればよくなるというのは、知ってますよ。そういう事例もある。でもねえ、そんな苦労を強いるようなこと、親御さんに言えないでしょ? それに組織というものは、思いつきで一朝一夕に改変できるものではないんですから」
息子の退所が決まった日以来、私は未就学の障害児の通所支援施設に対して、「ロクなもんじゃないのではないか」という、強烈な偏見を抱くようになった。
こうした事例が、限られた一部にすぎないことと、一日も早く、
「過去にはそういうこともあったけど、いまはありえない話」
になることを、心の底から願っている。
(2005年05月17日)
※過去日記を転載しています。