(過去日記を転載しています)
とても、あつい。
パソコンディスクの上には、我が敬愛するテンプル・グランディン博士の新刊「動物感覚」(NHK出版)が、鎮座ましましている。読みたい。とっても。
でもついつい、買いだめしてあるライトノベルに手が伸びてしまい……
グランディン博士の本を横目に見ながら、既に二十冊以上のライトノベルを読了している。全部もれなく暑苦しい恋愛モノ。しかもほとんどトラウマ系。恋愛が全く理解不能というグランディン博士が聞いたら、さぞかし宇宙人を見るような目をされることだろう。
自閉症である博士は、「ロミオとジュリエット」などの古典を読んでも、なぜ主役の男女がのぼせ上がって破滅的なドラマを演じるのか、皆目分からないのだという。実のところ、私にもよく分からない。なぜなんですかね。化学反応みたいなもんですかね。
ライトノベルの痛い恋愛モノでは、恋愛の「主な理由」にトラウマを持ってくることが多い。これはとっても、分かりやすい。ここに穴があいてるから、これで埋める式。「その他の理由」としては、相性とか成り行きとか宿命とか運命とか。これは化学反応に近い感じ。
まるっきりワケのわからない恋愛の本ってないものだろうかと探しているけれど、一冊二十分で読めるライトノベル系にはそういうのはあまりないようだ。やっぱりワケわからないと、売れないのだろうか。
前に読んだサミュエル・R. ディレイニー の「アインシュタイン交点」という小説は、何度読んでもさっぱりワケのわからない恋愛を描いていて爽快だった。解説書でも手に入れたら、そのうちまた読んでみようと思っている。
今日は給食時間から昼休みの掃除時間まで、息子(8歳・重度自閉症)付き添いをした。暴れる末っ子(1歳)を小脇にかかえ、息子にはっぱをかけて、雑巾がけと机運びをさせた。
複数の動作を組み合わせて流れるように行動をするということが、息子には難しい。
雑巾を床にひろげて、両手をついて、床拭いて、壁にぶちあたったら回れ右して、もう一度雑巾を床に広げて、両手をついて……
一連の動作の一つ一つはできるのに、「~して、」というところで、息子の体はピタリと止まってしまう。
静かな場だと出来ることもあるけれど、学校の喧噪のなかでは、故障したロボットか、フリーズしちゃったパソコンかという状態になることが多い。過剰な刺激でパンクして、次に何をするのか、分からなくなってしまうのだろう。
動作が止まるたびに、声をかけて、次の動作を促せば、息子は動き出す。そして、促すことを根気よく続けていくと、しだいに息子は、自発的に次の行動を起こすことができるようになってくる。
なので、私は付き添いにいくと、もっぱら息子の声がけ係となる。
「雑巾ひろげて!」
「手でおさえて!」
「しゃがんで!」
「上履き、かかと入れて!」
「進んで!」
「止まって!」
「後ろ向いて!」
「雑巾ひろげて!」
六~七巡繰り返すと、息子は一人で雑巾がけをこなすようになる。
でも次の日になると、元の木阿弥。
また動かないロボットに戻っている。
ただし、声がけの回数は、前よりは少なくて済む。
暑かったので、頭がちょっと、のびている。
朝からさっきまで、友人と、たくさん話していた。
息子は、リビングのテントハウスに籠もって、巨峰を食べながらオルゴールを聴いている。