こんにちは。
最近、気になっている表現がある。
「否やはない」
「小説家になろう」作品の会話文で、ちょくちょくお目にかかるのだけど、現実の会話文で耳にしたことは一度もない。
末っ子(19歳)に聞いてみたけど、使ったことも聞いたこともないという。
「〜するやいなや」という形であれば、文章語として使うことはあるけれど、その場合、「否や」と漢字で表記することはない。会話に使うことも滅多にない。
「小説家になろう」の作品の多くは、ライトノベルと呼ばれるジャンルに相当するものらしい。
「ライトノベル」の定義については詳しくないけれども、そのジャンルを愛好する方々の間で、「否やはない」が会話文に適した表現として認知されているのだとしたら、興味深いことではある。
なんてことを思っていたら、昨日読んでいた「シャーロック・ホームズの冒険」の会話文に、「否やはない」がバリバリ使われているのを見つけた。
「逮捕されることもありうるが、それでもか?」
「大義名分さえあればね」
「その点については、太鼓判を押すよ」
「ならば、ぼくに否やはない」
「ボヘミアの醜聞」
『ならば、こちらに否やはありません』わたしは答えました。『それで、給金のほうは?』『週に四ポンドです』
「赤毛組合」
あと一例、「緑柱石の宝冠」でも使われていた。
Wikipediaによると、訳者の深町真理子氏は1931年、東京府東京市に生まれ、京城府立第一高等女学校をへて、1951年、東京都立忍岡高等学校卒とのこと。
「小説家になろう」の作家さんたちの年齢分布はわからないけれども、おそらくは二十代から四十代くらいが主力ではないかと思う。深町真理子氏と同世代(九十代)の方は、まずいないだろう。
六十代の私と、十九歳の末っ子が使用しない「否やはない」という表現が、なぜ「小説家になろう」の作家さんたちの使用語彙に入っているのか。
その理由の一つとして、深町真理子氏の世代の作品を血肉として育っているということも考えられるかもしれない。
(_ _).。o○
今朝は二度寝してしまい、起きたら11時過ぎていた。
早朝、息子に起こされたときに、CPAP(無呼吸症候群のための呼吸器)を外してしまったために、二度寝のあと、酷い頭痛に襲われた。たぶん無呼吸が酷かったのだろう。死なずに済んでよかった。
お昼は天ぷらうどん。亭主作。
午後は、車で買い物に出かけた。
明後日から大学のスキー合宿に行くので、その買い出しに付き合った。
ユニクロでヒートテックの肌着と靴下、無印良品でバスタオルなどを購入。
買い物が終わってから、フードコートでコーラ飲んでフライドポテトを食べて、雑談してから帰宅。
晩ごはんはクリームシチューとブロッコリーのサラダ。亭主作。