湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

火星の女子高生

おはようございます。

 

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画像を用意してなかったので、ひさびさに自分のラクガキを貼り付けます。あとで剥がすかも。前にも貼った気がするし。

 

私の描くもの(書くもの)は、ときどき、人に嫌われます。「気持ち悪い」のだそうです。自分では普通で陳腐でありきたりだと思うのに、子どもの頃から、そう言われ続けています。でも、ものすごく好きだと言ってくれる人も、まれにいます。例えるなら、くさやの干物とか、いかの塩辛的な感じで、強烈に臭うけど、一度気にいると病みつきになる系の何かなのかもしれません。「気持ち悪い」と言われると「臭い」と言われてる気がするので、多分そうだと思います。言われて傷つくことはありませんが、私が描いた(書いた)ものに「臭い」というような反応を示す人からは、距離を置くようにしています。それがお互いのためだからです。

 

思えば、学校時代、とくに高校までは、というか高校がとにかく、実にしんどかったです。嫌悪感を持たれているのがわかって距離を置きたくても、机と机の間隔以上に離れることができないからです。そういう状況になると、集団内では数の暴力が発動します。毛色の違う少数の者、一個人には、自分が「悪者」として裁かれる危険を冒さなければ何をしてもいいというルールがまかり通る状況を、個人が主体的に他害行動を起こすという意味の、「いじめ」ということばで括ることに、私は強い違和感を覚えます。あれは概ね環境の問題だと思うからです。叩きたい人間と叩かれやすい人間を強制的に密集させておくのが悪い。叩く側の集団は私の目にはまともに思考する能力のない、ただただ、得体の知れなさに由来する嫌悪感や、私の与り知らない劣等感からくる嗜虐の欲求に支配されて醜いまねをせざるを得ない有象無象にしか見えませんでした。扉が解放されていて、自由にそこから出ていけるのであれば、問題が起きる前に、私はさっさとそこから離れたことでしょう。それができないので毎日学校がハードボイルドな事情に巻き込まれて爆破されて消える過程を想像したり、時間を早送りして5年先に飛んでからの物語を考えながら過ごしました。SF小説が大好きでした。

 

数学者ジョン・ナッシュの伝記映画「ビューティフルマインド」を見ていて、自分はこの人ほどじゃないと思いましたけど(天才じゃないし、見えない何かと戦ってリアルに物ををぶっ壊したりもしない)、周囲から見たら、同系統の部分もあったのだろうなというのは感じました。

 

 

ビューティフル・マインド (字幕版)

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  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 

理解できないものは、なんだって気味悪がられるものです。私だって、いま目の前に突然、映画「メッセージ」の宇宙人が出現したらビビります。あんなイカ墨仕様多次元型文字言語は理解不能です。あと、彼らは身体のサイズが、デカすぎます。もともと私は巨大なものが苦手で、下から見上げる高層ビルすら恐怖の対象です。怪獣映画の鑑賞など論外。シン・ゴジラも未見。でも、「御社」や「弊社」が破壊されるシーンは、ちょっと見たい。学校が大嫌いだったころなら、私でも劇場で見られたかもしれません。

 

 

 

 

このあいだ家の掃除をしていたら、高校時代の日記が出てきて、ちらっと読んで捨てました。40年たっても、書いていることの発想の根っこが、ほとんど変わらなかったからです。変わらないなら、古いものを保存する必要もありません。

 

オリヴァー・サックス博士が、自閉症のテンプル・グランディン博士を取材して書いた「火星の人類学者」を読んだのは、息子が生まれて、2歳で重度の自閉症とわかった後でした。

 

自閉症という言葉は知っていても、その当事者に出会ったことがなかった(と当事は思っていた)私は、手当たり次第、自閉症関連の本を読みましたが、テンプル・グランディン博士の自閉症についてのエピソードや、ご本人の著作との出会いは、大きな気づきとなりました。

 

 

 

私自身は自閉症ではなくても(と当時は思っていた)、自分が置かれている社会の仕組みに適応しにくい生来の性質があるのかもしれないと気づいたことは、救いになりました。名もない宇宙人疑惑から解放されて、名のある宇宙人に昇格できそうだなと。命名が可能であるということは、自前の脳の言語野に格納されている言葉に紐付けされている、概念のネットワークのどこかに「自分」を位置づけて客観的に考えることができるということでもあるわけで、それは大きな安心につながります。得体の知れない自分など、宇宙人や怪獣と変わらず、処置に困ります。

 

 重度自閉症児の親なのだから、資質的に近い部分はあるのだろうから、準自閉症者の許可証くらいもらえそうだな、なんてことも思ったものです。

 

お笑いのコントなどで、タコの怪人とかゴリラとかが、理想とされる文化コードに完全に従って、極めて紳士的な振る舞いをするという趣向のものが時々ありますが、発達障害の診断を受けたあと、自分は割とそういうものに近い気がしました。そして、それでいいと思っています。にっこりほほえんでいる無害な宇宙人。教室に閉じ込められているわけじゃありませんから、気味わるがられたら、離れるか、去って貰えばいいだけです。

 

 

 

長いな、日記が。(´・ω・`)