湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

ねこたま日記

こんにちは。

 

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ぷちぷち日記は、本日休業。

 

家族が入院した当日や翌日に、ウォーキングの歩数やスクワットの回数を書き溜める気にならなくても、仕方がないんじゃないかと思う。

 

昨晩、入院した長女さんから電話をもらった。元気そうだった。PCR検査の結果がはっきりするまでは、個室で過ごすそうだ。

 

この数日、かなりキツいパニック発作的な状態だったけど、お薬の調整などもしてもらったと思うので、少しでも早く回復してくれればいいと思う。

 

昨日、入院手続きをしている最中、お世話になっているケアマネさんから亭主のほうに電話がかかってきたそうで、事情を伝えると、今後はショートステイなども考えていくべきかもしれないと言ってくれたという。

 

今日、私のほうから電話で入院の経緯を伝えて、退院後のことについて相談したところ、近隣にいつくか条件のよさそうなグループホームがあるそうで、退院して落ち着いたら、そういう施設でのショートステイを利用しながら、生活スキルや対人関係面での経験値を上げていけたら、という提案をいただいたので、ぜひにとお願いした。よいホームとの出会いがあることを願う。

 

 

(_ _).。o○

 

午後、残っていた入院関連書類を病院に出してから、ショッピングモールで食材などの買い物をした。

 

少しだけ本屋さんに立ち寄ったら、気になる本があった。

 

 

パーラヴィ・アイヤール「日本でわたしも考えた : インド人ジャーナリストが体感した禅とトイレと温泉と」(白水社

 

著者は、外交官の夫の赴任に伴って2016年から2020年まで東京に滞在していたという。

 

手に取って少し読んだら面白くて、気持ちがちょっと上向きになった。

 

定価[本体2300円+税]。

 

少し高いけど、思い切って購入。同額のケーキをドカ食いするよりはずっと身体にいい。

 

 

 

ねこたま日記

こんにちは。

 

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息子の介護施設では、また新型コロナが出たという。例によってスタッフ全員の検査結果が出るまで、お休みになった。

 

昨日は朝からガスの点検が来るというので、息子を連れて車で買い物にに出た。真冬でもて半袖シャツにトランクスいっちょの巨漢の息子が家の中で飛び回っていては、ガス点検の人も落ち着かないだろうと思ったのだ。

 

点検に時間がかかりそうだというので、まずは近隣をドライブしてから、ショッピングセンターへ。そこは各階に障害者用の大きなトイレのあるところなので、息子を連れていくのに安心なのだ。

 

店に入ると、息子はさっそく「トイレ!」と言って、私を案内してくれた。広いフロアの奥の方にあるのに、全く迷う様子がない。福祉の行動援護サービスでよく利用しているので、慣れているのだと思う。

 

用を足したあと、お散歩がてら、店のなかをいろいろと見て回っていたら、なんだか喉が腫れて、具合が悪くなってきた。

 

あ、ヤバいかもと思い、飲み物を買って車に退避。しばらく休んでいたら落ち着いたので、運転して帰宅した。しばらくすると、喉の痛みも治った。

 

ストレスがかかったり、疲労が溜まったりすると、すぐに喉が痛くなる。放っておくと熱が出る。子どものころからそうだけど、歳とともに一層弱くなったように思う。こんな体質だから、新型コロナでも症状が重く出たのだろう。免疫、もう少し強くならないものか。

 

免疫力を上げる本をKindleで探したら、読み放題できるものがいろいろあった。

 

「Dr.クロワッサン 免疫力を上げる6大発酵食レシピ」

 

「免疫力を自力で上げる本」(主婦の友生活シリーズ)

 

「免疫アップ 名医が教える最強極意」(マキノ出版

 

他にもいろいろありそう。

あとでダウンロードしよう。

 

 

(_ _).。o○

 

Yahoo! のニュースを眺めていたら、いじめに遭ったダウン症の女の子が大統領と登校したという記事が目に入ったので、読んでみた。

 

学校でイジメられたダウン症の少女に「最強すぎる味方」が登場、一緒に学校へ 北マケドニア(ハフポスト日本版) - Yahoo!ニュース

 

記事を少し引用してみる。

 

バルカン半島に位置する北マケドニアで、学校でイジメに遭ったダウン症の少女に「最強の味方」が登場する出来事があった。


少女の家に現れたのは、ステボ・ペンダロフスキ大統領。少女と手を繋ぎ一緒に登校した。

 

イジメに遭っていたのはエンブラ・アデミさん(11)。染色体の突然変異が原因で起きるダウン症を抱えている。

 

2月7日、ペンダロフスキ大統領はエンブラさんの自宅を訪問。持参した紙袋からプレゼントを取り出すと、エンブラさんは目を大きく見開いて嬉しそうな様子を見せた。そして、エンブラさんの両親から日々の課題などを聞き取り、差別撤廃のための組織がこのケースについて手続きを開始することを歓迎する意向を示した。

 

 

いいな。

社会のなかで力を持っている人が、障害児のためにこういう行動を取ることは、とても大きなことだ。

 

日本だと、皇室の方々が施設訪問などされているニュースを時々見る。

 

新型コロナのために、いまはオンラインでの訪問になっているようだ。

 

天皇皇后両陛下 障害者施設の子どもたちとオンラインで交流(日テレNEWS) - Yahoo!ニュース

 

もっといろんな方々が光を当てに来てくれればいいのにと思う。

 

ストレッチマンに息子の在学中に会えなかったのが、いまだに残念に感じられる。彼はいまも全国の特別支援学校を回っているのだろうか。

 

 

 

 

 

過去日記

少し具合がいいので、パソコンを立ち上げて、過去日記をここに転載する作業を再開した。

 

まず、息子が小学二年のころの療育日記。

2005年だから、17年も前になる。

 

dakkimaru.hatenablog.com

 

この日記に書いている「わざと失敗する」という息子の癖は、24歳になった今も形を変えて続いている。

 

ズボンは必ず後ろ前にはく。

トレーナー類は、必ず裏返しの後ろ前に着る。

 

百パーセント間違えるのだから、確実にわざとやっている。

 

「裏返しだよ」と声をかけると、そそくさと直すのだから、間違いない。

 

 

間違えるのが嫌だからやっているというよりも、もはや「最初は間違える」というのが儀式化してしまっているように思える。

 

そういえば、靴の左右も根深く間違えつづけていたけど、この数年は正しく履くようになった。

 

できれば三十歳ぐらいまでには、最初から正しく身に着けられるようになってほしい。そのためには、儀式として固着した手順を打破しないといけないのだけど……骨が折れそうだ。

 

 

次の日記も、17年前の上と同じ日に書いたもの。

息子の療育が、期せずして末っ子の超早期教育になっていた、という話。

 

書いた本人は完全に忘れていたけど、そういえばこんなこともあったのだった。

 

dakkimaru.hatenablog.com

 

 

この日記の当時、末っ子は生後五か月だった。

 

こういう日常を送った結果、どうなったかというと、末っ子は一歳十か月くらいから、いきなりひらがなを読み始めるのである。

 

長女さんが文字を覚えたのは二歳半ぐらいで、それでもずいぶん早いと思っていたけど、一歳台で字を読むようになるというのは、さすがに想像できなかった。人に話しても、ほぼ間違いなくウソだと思われるのだけど、間違いなく読んでいた。現場を目撃した公文の先生に入会を勧められたりもした。一歳児なのに。

 

もっとも末っ子の知能の発達は、その後とんでもない蛇行跛行を繰り広げ、母親の顔がゾンビ化しそうなことになるのだけど、それについての日記も、いずれ転載できると思う。

 

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(↑ひさびさに、pixabayから写真をお借りした。)

 

 

 

 

ねこたま日記

おはようございます。

 

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沖縄

 

土曜日だけど、末っ子は模試があるので登校していった。

 

来月予定の修学旅行がコロナのせいで中止になりそうなので、勉強のモチベーションは爆下がりしている様子。無理もない。

 

できることなら行かせてやりたいけど、万が一、末っ子が現地で新型コロナに感染した場合、保護者が現地に飛んで、最低でも十日に及ぶ隔離措置の付き添いをすることになる。学校からも、旅行参加の条件としてそう言われている。

 

だけど我が家の場合、それがほぼ不可能なのだ。

 

修学旅行予定日は、亭主の職場の大繁忙期、入試期間の真っ最中にぶつかっている。

 

だから万が一のときは私が飛ぶしかないのだけど、親の留守中、息子の送迎や介助を病み上がりの長女さんに全て任せることになってしまう。

 

そして、極度の高所恐怖症である私は、飛行機に乗った経験がない。パニック発作持ちであり、観覧車に乗っただけで腰を抜かす私が、飛行機なんぞに乗ったら、どうなるかは知れている。

 

それに、たとえフライトを無事にクリアしたとしても、一人で行動すれば高確率でトラブルに巻き込まれる天賦の才能を持つ私が、何かやらかさないわけがない。

 

末っ子には、

 

「感染してもワシは自分でなんとかするから、おっかあは来なくていい。むしろ来んでくれ!」

 

と、力一杯言われた。

 

亭主は、

 

「米軍基地にでも迷い込まない限り、まあ大丈夫やろ。そもそも迷い込もうにも、セキュリティ高いから、まず入れんし」

 

などと呑気なことをのたまうので、

 

「米軍基地さえ回避すれば私がトラブルを起こさないと思うか?」

 

と聞いたら、沈黙された。

 

なんか、そこまで言われると、逆に是が非でも飛んでやろうかという気になってくる。長女さんには、留守中はなんとかするから任せろと言ってもらえた。来月、沖縄修学旅行決行となって、末っ子が感染した場合、私は人生初の飛行機旅行をすることになりそうだ。

 

「オミクロンに感染して重症化したおっかあを、ワシが看病する未来しか見えない…」

 

と末っ子が白い顔で呟いていた。

 

模試の結果が、思いやられる。

 

 

 

 

 

診断

 

アスペルガー症候群診断テストみたいなのを見つけたので、やってみた。

 

 

アスペルガー症候群の診断・症状チェック|こころナビ

 

結果は、これ。

 

 

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まあ、知ってた。

 

病院の検査では、ADHDがメインで、自閉症については「傾向がある」程度の扱いだったけど、自分の人生のありさまを曲がりなりにも客観的に振り返ってみれば、傾向が微々たるものでないことぐらい、嫌でも想像がつく。

 

だけど、設問に答えながら感じたのは、研究職についている人や、趣味方面でオタク素養のある人の大半は、このテストで高得点を獲得するんじゃないかなということだ。

 

その方々の多くは、自分の持つ傾向を、専門医への相談が必要なものとは思わないだろうし、むしろ人生と切り離せない要素と考えるかもしれない。

 

誰もが私のように二次障害に悩まされるわけじゃないし、私だってうつ病などにならなかったら病院へは行かなかった。若い頃には自分の「変」なところを持て余して悩んだ時期も確かにあったけど、私は「変」な自分が嫌いではない。嫌いなのは、うつ病だ。

 

 

そのうつ病だけど、この数日がんばって歩き回っていたら、だいぶラクになってきた。抗うつ剤を倍量に増やしてもらったのも、よかったのだろう。

 

今日も歩こう。

ドラクエウォークを起動しながら。

 

 

 

読書メモ…「発達障害という才能」(岩波明)

岩波明発達障害という才能」

 

 

他の本に盛大に寄り道しながら、少しづつ読んでいる。

 

ADHDの衝動性は、どのような場面で現れるのかというと、例をあげれば、思いつきでいろいろなことについ手を出してしまうとか、一度始めるととことんやらないと気がすまないといった特徴が見られる。

 

またひんぱんではないが、衝動性が行きすぎて、ゲームがやめられなくなったり、友だちとの口げんかから、つい手を出してしまったりといったケースも存在している。実際、女性のADHDにおいても、子供のころには男子としょっちゅう喧嘩していましたという人に出会うことがある。

 

岩波明発達障害という才能」より引用

 

 

ゲーマーというほどではないものの、ゲームはほぼ人生の一部といっていいほど生活に食い込んでいる。この歳になってゲームであそぶ時間はかなり減ったけれども、生きている間はずっと何かで遊んでいるだろうと思う。

 

 

コンピューターゲームというものが世の中に出現しなかったなら、私はどんなことにハマっていたのだろうと、時折考える。

 

子どもの頃には切手などの収集癖があった。

手芸には適性がなくて下手くそだったけど、やり始めると色んな物体を量産した。

 

喧嘩沙汰は、結構あった…かもしれない。(´・ω・`)

 

別に暴力的ない人間じゃなかったけれど、自分特有の地雷を抱えていたのだろうと思う(今はそんなものはない…たぶん)。

 

最後にやらかしたのは中学二年のとき。

掃除当番をサボって座っていた男子生徒を見つけて、プチっと切れて椅子ごとぶん投げたら、壁に吹っ飛んでいって、ワイシャツの最中を釘に引っ掛けて真っ二つに裂けるという事態になり、さすがにシャツ代を弁償した。

 

自分が親になってみてつくづく思うけれども、過去の自分のような子どもがいて、行状をつぶさに把握していたなら、胃が穴だらけだったことだろう。私は親孝行だったので(?)ヤバい話は家ではほとんどしなかった。

 

 

(_ _).。o○

 

 

寄り道して読んだ「身代わり狂騒曲」という小説に、江戸っ子のADHD気質を読み取れる一節があったので、引用してみる。

 

文中で大馬鹿者と言われている「源内さん」は平賀源内で、「南畝」は大田南畝のこと。

 

「源内さんは、南畝の『寝惚先生文集』の序で、___馬鹿孤りならず、必ず隣有り。目の寄る所たまが寄る___と書きました。

 

身代わりの源内は、私たちこの世に残る馬鹿者から、仏になった大馬鹿者、源内さんへの贈り物なんです。

 

だから、下らない与太だと言われようが一所懸命にやる。子供だろうが、大人だろうが、遊びは全身全霊を傾けなけりゃ。それが江戸の気風ってもんです」

 

風花千里「身代わり狂騒曲」

 

 

 

 

マルチ型の天才だった平賀源内は、なんにでも手を出して、一旦ハマると全身全霊でとことんやらずにはいられない、衝動性の持ち主だったのかもしれない。

 

源内の取り囲む江戸の才人たちも、多かれ少なかれ似たような性分だったのだとしたら、その周囲の方々は、さぞ胃の痛むことが多かっただろう。