湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

読書メモ…「発達障害という才能」(岩波明)

岩波明発達障害という才能」

 

 

他の本に盛大に寄り道しながら、少しづつ読んでいる。

 

ADHDの衝動性は、どのような場面で現れるのかというと、例をあげれば、思いつきでいろいろなことについ手を出してしまうとか、一度始めるととことんやらないと気がすまないといった特徴が見られる。

 

またひんぱんではないが、衝動性が行きすぎて、ゲームがやめられなくなったり、友だちとの口げんかから、つい手を出してしまったりといったケースも存在している。実際、女性のADHDにおいても、子供のころには男子としょっちゅう喧嘩していましたという人に出会うことがある。

 

岩波明発達障害という才能」より引用

 

 

ゲーマーというほどではないものの、ゲームはほぼ人生の一部といっていいほど生活に食い込んでいる。この歳になってゲームであそぶ時間はかなり減ったけれども、生きている間はずっと何かで遊んでいるだろうと思う。

 

 

コンピューターゲームというものが世の中に出現しなかったなら、私はどんなことにハマっていたのだろうと、時折考える。

 

子どもの頃には切手などの収集癖があった。

手芸には適性がなくて下手くそだったけど、やり始めると色んな物体を量産した。

 

喧嘩沙汰は、結構あった…かもしれない。(´・ω・`)

 

別に暴力的ない人間じゃなかったけれど、自分特有の地雷を抱えていたのだろうと思う(今はそんなものはない…たぶん)。

 

最後にやらかしたのは中学二年のとき。

掃除当番をサボって座っていた男子生徒を見つけて、プチっと切れて椅子ごとぶん投げたら、壁に吹っ飛んでいって、ワイシャツの最中を釘に引っ掛けて真っ二つに裂けるという事態になり、さすがにシャツ代を弁償した。

 

自分が親になってみてつくづく思うけれども、過去の自分のような子どもがいて、行状をつぶさに把握していたなら、胃が穴だらけだったことだろう。私は親孝行だったので(?)ヤバい話は家ではほとんどしなかった。

 

 

(_ _).。o○

 

 

寄り道して読んだ「身代わり狂騒曲」という小説に、江戸っ子のADHD気質を読み取れる一節があったので、引用してみる。

 

文中で大馬鹿者と言われている「源内さん」は平賀源内で、「南畝」は大田南畝のこと。

 

「源内さんは、南畝の『寝惚先生文集』の序で、___馬鹿孤りならず、必ず隣有り。目の寄る所たまが寄る___と書きました。

 

身代わりの源内は、私たちこの世に残る馬鹿者から、仏になった大馬鹿者、源内さんへの贈り物なんです。

 

だから、下らない与太だと言われようが一所懸命にやる。子供だろうが、大人だろうが、遊びは全身全霊を傾けなけりゃ。それが江戸の気風ってもんです」

 

風花千里「身代わり狂騒曲」

 

 

 

 

マルチ型の天才だった平賀源内は、なんにでも手を出して、一旦ハマると全身全霊でとことんやらずにはいられない、衝動性の持ち主だったのかもしれない。

 

源内の取り囲む江戸の才人たちも、多かれ少なかれ似たような性分だったのだとしたら、その周囲の方々は、さぞ胃の痛むことが多かっただろう。