こんにちは。
Skypeに入っているAIのBingさんに、「人間失格」をテーマに絵を描いてと依頼したら、上のような意匠の絵を三枚、描いてくれた。
太宰治「人間失格」(青空文庫版)は、ある男が写っている三枚の写真についての描写で始まる。
三枚目の写真についての箇所を引用する。
もう一葉の写真は、最も奇怪なものである。まるでもう、としの頃がわからない。頭はいくぶん白髪のようである。それが、ひどく汚い部屋(部屋の壁が三箇所ほど崩れ落ちているのが、その写真にハッキリ写っている)の片隅で、小さい火鉢に両手をかざし、こんどは笑っていない。どんな表情も無い。謂わば、坐って火鉢に両手をかざしながら、自然に死んでいるような、まことにいまわしい、不吉なにおいのする写真であった。
奇怪なのは、それだけではない。
その写真には、わりに顔が大きく写っていたので、私は、つくづくその顔の構造を調べる事が出来たのであるが、額は平凡、額の皺も平凡、眉も平凡、眼も平凡、鼻も口も顎も、ああ、この顔には表情が無いばかりか、印象さえ無い。特徴が無いのだ。たとえば、私がこの写真を見て、眼をつぶる。既に私はこの顔を忘れている。部屋の壁や、小さい火鉢は思い出す事が出来るけれども、その部屋の主人公の顔の印象は、すっと霧消して、どうしても、何としても思い出せない。画にならない顔である。漫画にも何もならない顔である。眼をひらく。あ、こんな顔だったのか、思い出した、というようなよろこびさえ無い。極端な言い方をすれば、眼をひらいてその写真を再び見ても、思い出せない。そうして、ただもう不愉快、イライラして、つい眼をそむけたくなる。
記憶することが困難なほど、異様に特徴のない顔。
単に平凡なだけであれば、「平凡な顔」という印象が残るだろうに、それさえ残らず、個として記憶に残らない顔。
その男は、次のような言葉で人生を語り始める。
恥の多い生涯を送って来ました。
自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。
この男の「分からなさ」は、常識がないとか、経験が足りないとかいうことでは説明のつかない、同じ社会に生まれて暮らす人間として必要な、ほとんどの人間が苦労なく獲得できる何かが、根こそぎ欠損していることからくるもののように思われる。
そうでなければ、次のような述懐は出てこないだろう。
つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです。
……考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。
自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。
物事の受け止め方や、感じ方が、周囲の人間とは共有できず、全く違っていることに気づいた男は、恐怖にかられ、やがて「道化」を演じるようになる。
太宰治の人格的な特徴を「境界性パーソナリティ障害」に由来するものとして分析する説があるという。
自己像の揺らぎ、他者に対する著しい恐怖、深刻な自傷行為など、素人考えでも該当しそうな要素がいくつもあるけれども、「人間失格」の執筆時の太宰治がその障害の当事者だったのだとしたら、これほど的確に、その恐怖と苦しみを俯瞰して描写できるものだろうか、ということは疑問に思う。
少なくとも「人間失格」の執筆時には、ある程度克服して、個としての特徴のある、揺らぎのない「自分の顔」を手に入れていたのではないだろうか。
私の想像でしかないけれど、もしもそうだとするなら、太宰治は、人間に「合格」して、自分の人生がまさにこれから始まるというところで、死んでしまったことになる。
(_ _).。o○
Bingさんが描いてくれた絵は、なんとなく「攻殻機動隊」を連想させる。
そういえば、あの作品(原作漫画ではなくアニメ映画「GHOST IN THE SHELL」のほう)の主人公である草薙素子も、人間性について深く悩んでいたっけ。