昨日、末っ子のワクチン接種に付き合うのに、「カキフライが無いなら来なかった」(又吉直樹・せきしろ 著)を持っていった。
でも、待ち時間が少なすぎて、一行も読めずに終わった。
なので今日、一行読むことにした。
みな車窓から虹を見ていた恐そうな人も 又吉直樹
見事な自由律俳句だ。
これだけで、ものすごく情景が重層的に目に浮かぶ。
句にさそわれて、自分もなにか語りたくなる。だってすごく知っている、心にある光景だから。
同じ車両に乗っていた、野生のゴリラみたいな乗客は、他の乗客と同じように、あるいは他の人々よりも数段熱心に、「首を伸ばしアゴを上げ必死に必死に虹を見ていた」ようだ。
その野生のゴリラは、虹を見るまでは凶悪な形相で又吉直樹を威嚇していたのだという。
ゴリラ乗客は、きっと又吉直樹が怖かったのだと思う。
顔面の凶悪さをフル起動して威嚇しなければ、目の前の得体の知れない又吉直樹に打ち勝って心の安全を守りきる自信がなかったのだ。
自分よりも又吉直樹のほうが精神体として恐ろしい存在であると直感するあたり、野生の生存本能に優れた個体であったのだろう。それだけに、電車の同じ車両に又吉直樹がいることの恐怖は計り知れないものだったに違いない。
けれども不意に救いが訪れる。
美しい虹が車窓から見えたことで、乗客の多くが虹に心を奪われる。
ゴリラ乗客も同じように虹に引き寄せられることで、自分が周囲の大多数と同じ存在であることを実感できたことだろう。
つまり、虹を愛でる人々とゴリラ乗客は多数派であり、虹をよりもゴリラ乗客を不気味な作家視線で観察し続ける又吉直樹は、孤立した唯一無二の存在ということになる。
その時点でゴリラ乗客は数の力で又吉直樹の勢力を上回ったわけで、虹によって心を救われたことになる。
彼の心は虹を見ながら、つかのまの安らぎを得たことだろう。
この本を買うことがなければ、又吉直樹の視線に晒された過去の恐怖からも守られ続けるかもしれない。
電車の中で又吉直樹を威嚇して観察されたことのある野生のゴリラ乗客が、何人くらいいるのか、ちょっと知りたい気がする。