今日は息子(23歳)の歯科検診だったので、介護施設をお休みさせて、私が車で連れていった。
検診先は、息子が全身麻酔で歯科治療をした病院。
重度の知的障害がある巨漢の息子にも対応できる、特別な歯科で、うちから車で片道40分ほどかかる。
息子はいつも後部座席の右端に座る。
運転席の真後ろで、息子が繰り返し、
「歯医者さん!」
と連呼する。
放っておくと、100回でも200回でも「歯医者さん!」を叫び続けるので、聞く側は大変なストレスになる。
息子も自分で止めるのが難しいらしくて、叫び声が徐々に緊迫してくる。
「歯医者さん!歯医者さん!歯医者さん!!!!」
同じ言葉の連呼には、たぶん、強迫性障害的な部分もあるのだろうと思う。様子を見ていても、言いたくて言い続けているようには、とても思えないのだ。
けれども繰り返している単語に格助詞をつけて、問いかけてみると、息子は動詞を補うなどして二語文を作ることができる。
私「歯医者さんに?」
息子「行く!」
私「車で?」
息子「行く!」
私「おかあさんと?」
息子「車で歯医者さんに行く!」
日本語の基本的な文法や語彙の知識がなければ、このような補いは不可能なはずだ。
だけど私の誘導がない状態で、息子が二語文以上を発っすることは滅多にない。
脳神経の何らかの不具合のために、自由な発語が妨げられているのだろうと思う。
歯科へ向かう途中、息子の構文能力を誘導しながら、いろんな文を作ってもらった。
誘導されて出てくる言葉は、息子が本当に喋りたいことではないだろうけれども、それでも息子と「会話」できることは、私にとっては大きな喜びだ。
私「今日の天気は?」
息「晴れです!」
私「いや、曇ってるよね。空見て。きょうの」
息「きょうの天気は……くもり、です」
息子は晴れの日が大好きで、雨が降りそうになると、しょんぼりすることが多い。
私「台風は」
息「台風は……」
私「台風は嫌い?」
息「台風は嫌い!!!!」
かなり力のこもった復唱だった。
幼い頃は台風が来るたびにパニックを起こしていた。いまはパニックになることは稀になったけれど、嫌いではあるのかもしれない、などと思う。
私「言葉を」
息「話す」
私「言葉を」
息「言葉を話す」
私「言葉で話すと、みんなに伝わる」
息「みんなに……」
私「言葉で話すと」
息「言葉で話すとみんなに伝わる」
長い文なのに、息子の反応がよかった。
なので、少し掘り下げてみた。
私「考えたことを、言葉で話す」
息「考えた……」
私「考えたことを」
息「言葉で話す」
私「考えたことを」
息「考えたことを言葉で話す」
私「考えたことを言葉で話すと、みんなに伝わる」
息「考え……みんなに伝わる」
私「考えたことを」
息「言葉で話すとみんなに伝わる」
私「考えたことを?」
息「考えたことを言葉で話すとみんなに伝わる」
息子は意味が分からないまま、ただ私の誘導に従って文を補い、その場で覚えて復唱しているだけなのかもしれない。
でも、これだけの長さの文は、復唱の形であっても、息子はなかなか言えない場合が多い。
「考えたことを言葉で話すと、みんなに伝わる」
ということは、息子にとっては、頑張って復唱したいと思えるほど価値のある内容だったのではないか。
往復の車中で、ほかにも息子といろんな「会話」をした。
私「去年、おかあさんは、新型コロナで、入院しました」
息「去年おかあさんは…」
私「新型コロナで」
息「新型コロナで入院しました」
私「自閉症の人は、パニックになることがあります」
息「自閉症の人は」
私「パニックに」
息「パニックになります」
私「お姉さんは、今年の夏、パニックで入院しました」
息「お姉さんは、入院しました」
私「今年の夏、パニックで」
息「お姉さんは、今年の夏、パニックで入院しました」
私「10月に、お姉さんは退院します」
息「10月にお姉さんは退院します」
私「うん、そうだよ」
息子の知的障害はとても重い。
知能テスト(田中ビネー式など)では、IQが30にやっと届く程度という結果になる。
そういう状況を踏まえるならば、息子が自分が復唱する言葉の内容を全く理解していないと考えるほうが、妥当であるのかもしれない。
でも、こんな「会話」をすると、しばらくの間、息子はとても穏やかになり、奇声や常同行動は鳴りを潜めて、同じ単語を連呼することもなくなるのだ。
(_ _).。o○
「嗅ぐ文学、動く言葉、感じる読書 自閉症者と小説を読む」を、少しづつ読み始めた。
著者のラルフ・ジェームズ・サヴァリーズ氏は、自閉症の男の子を養子として育てているという。
その息子さんは、里親の元にいた6歳ごろまでは、トイレトレーニング無理と思われていて、オムツで暮らしていたのだそうだ。
その後、養父母となった著者夫妻の指導によって、文字入力した言葉を音声に変える装置をつかってコミュニケーションが可能になり、普通高校から大学に進学して、学者である父親よりも良い成績をおさめているのだとか。
重度知的障害の自閉症児が、ファシリティテッド・コミュニケーションの指導を受けて高い知性を発揮するという事例は、同じような自閉症者の親にとっては、ある意味とても残酷で過酷な「希望の光」だと思う。
私自身、息子が「話せるようになる」ことを夢みて、途方もない試行錯誤を続けてきた。
言葉を添えた絵カード。
筆談。
発語や意思表示を支援する、さまざまな器材やアプリケーション。
学校や療育教室の先生方にも相談しながら、ほんとうにいろんなことを試してきて、息子にも散々努力してもらったけれども、どうしても息子は「自分が考えたことを、二語文以上の言葉にして出す」ことができなかった。
単純な欲求を動詞の一語文で示すことはできるけれども、もう何年もそこで停滞したまま、進まない。
「嗅ぐ文学」の著者の息子さんや、「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」の著者の東田直樹さんのように、キーボードや文字盤で考えたことを言葉にして発することのできる重度自閉症の青年たちは、私には眩しすぎる存在だ。
眩しいからといって、そこにあるものを見ないという選択肢は、私にはない。
彼らのように、息子がコミュニケーションの窓を開いてくれる日が来るのかどうか。
重度知的障害の太鼓判を押されている息子の中に、オリジナルの文章を紡げるほどの思考が存在するのか。
眩しすぎる「希望」に手をかざしながら、これからもずっと考え続けることになるのだろう。もしかしたら自分の人生が終わる日まで。
(_ _).。o○
歯科からの帰り道、息子とこんな「会話」もした。
私「僕は」
息「僕は」
私「僕は自分の考えたことを、まわりの人に分かってほしい」
息「僕は自分の」
私「考えたことを」
息「まわりの人に」
私「分かってほしい」
息「まわりの人に分かってほしい」
私「僕は自分の考えたことを」
息「僕は自分の考えたことをまわりの人に分かってほしい!」
ほんとうに、息子は意味が分からずに復唱しているだけなのだろうか。