息子(8歳・重度自閉症)の夜泣きと朝泣きを食らい、睡眠時間が4時間を割っている。
眠れないまま、10年後のことなんて考えたものだから、さすがにちょっぴり、めげそうになった。
長女さん、19歳。
あと1年で成人。それと同時に、小児慢性特定疾病の医療補助が、切れる。
治っているだろうか。そう思いたい。
息子、18歳。
養護学校に転校したとしても、高等部を卒業する年である。
いまのレベルの知的ハンデを抱えたままなら、就業は難しいだろう。私の健康状態によっては、施設に入れるという話が、そろそろ持ち上がっているころかもしれない。
考えたくない。
というか、イメージできない。
一緒に住めなくなることなんて。
もちろんそうならないために、いま療育をがんばっているのだ。せめて言葉を少しでも使えて、道を一人で歩ける程度になってくれていれば・・・。
朝の五時に、原因不明のパニックを起こして絶叫している息子を見ながら、さすがの私も、ため息がでた。
何年か前、知的障害者のために開かれたコンサートに、家族ででかけたことがある。招かれていたのは、上々颱風。すばらしいコンサートだったけど、私の記憶に刻まれているのは、障害者の親御さんたちの顔だった。
そろそろ老齢に達しつつある、その方々の顔には、表情というものが無かった。つかれきっているのでも、あきらめきっているのでもない、ただただ、無表情な顔。石のような後姿。
いつか、私もあんなふうに老いていくのかもしれない。そう思ったら、怖くなった。
やわらかいままでいたいと思う。
顔、石になったら、子供に向かって笑うこともできなくなる。
息子が物投げて絶叫してても、ため息ついて、固まってちゃダメなんだと思う。
石の対極にある状態は、「生きている」ということだろう。
やわらかくあるために、毎日こうして、こんなものを書いたり、読んだりすることが、私には必要なんだと思う。
生きるために。
2005年06月18日
*過去日記を転載しています。