汚部屋汚部屋言うたびに自分にがっかりして何かが削られる気がしてきたし、遠からず滅ぼすものを看板に掲げても虚しいので、日記のタイトルを改めた。
ところで、「汚部屋」の読みって、「おへや」だろうか、「おべや」だろうか。
私はずっと「おへや」だと思っていたけど、「おべや」と読んでいる人を見かけたので、どっちの頻度が高いのか、ちょっと気になった。こういうのって、きっと日本語学系の学者さんや学生さんや言葉マニアの人たちが調べてると思うので、そのうち記事を探してみよう。
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扁桃腺の痛みが取れない。
片付けものをして動いていると、風邪症状が重くなる。無理すると確実に高熱コースなので、思うように動けない。
とっとと片付けたいのに。(´・ω・`)
これじゃコロナ後遺症のころと大差がない。
などと、焦っても仕方がない。
今月末には2回目のワクチン接種もある。
無理せず、できる範囲で少しずつ進めるしかない。
だいたい焦ってドタバタ動いたところで、ADHD的な意味で究極の片付け下手なのだから、作業効率は半端なく低いのだ。
たぶん「普通」に片付けのできる方には想像もつかないだろうと思うのだけど、私には、何をどうすれば片付くのか、基本的に全く分からない。
そもそも片付いた部屋のイメージがない。
目の前に散らかっている多数の物品を見ていると、頭の中がノイズで埋まったようになって、何も考えられなくなる。
今回、曲がりなりにも片付けの作業ができているのは、
「過去一年以内に使うことのなかった自分の所用物は、なんであれ全部捨てる」
というルール一本でやっているからだ。
これだと嫌でも捗る。
思い出の残るものを捨てる作業には痛みが伴う。
でも振り返ってみれば、思い出の大半は苦しいものばかりなのだ。
うちに膨大な数のぬいぐるみがあったのは(八割がた捨てたけど、まだかなりある)、長女さんが難病で長期入院を繰り返していたからだ。日替わりのように新しいぬいぐるみや人形を用意して、小児病棟に日参した。亭主と交替で半年ちかく病室に泊まり込んでいたこともある。親用のベッドなどない病院だったから、長女さんの幼児用ベッドの脇にパイプ椅子を並べて寝た。発症した年はインフルエンザ脳症の当たり年で、周囲の病室の子どもたちが次々に亡くなっていった。視界の中にかわいいぬいぐるみでもなければ、到底やりすごせない日々だった。
苦しい思い出と共に、ぬいぐるみのほとんどを手放した。「戦友」レベルの子たちだけ、いくつか残した。
葛根湯を飲んで、動けるようになったなら、今日の作業を再開しよう。
枕元の机の上。
末っ子のアドバイスに従って、本は五冊だけにとどめている。
横にいるのは、ビーニーベイビーズのぬいぐるみたち。ビーニーの子たちは、処分対象外になっている。