湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

「仏陀のように私は死んだ」とコロナ療養日記

 (※2020年11月21日発症)

 

こんにちは。

 

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ちょっとだけ、大晦日の夜に時間を巻き戻して、当日書ききれなかったことなど書いてみる。

 

紅白で聞いた、坂本冬美の「仏陀のように私は死んだ」という怪曲。作詞、桑田佳祐

 

今日になって、Apple Musicで歌詞を確認しながら聴き直している。

 

 

 

 

しみじみ凄い歌だ。

 

破壊力というか、そもそも歌詞自体が壊れてるというか。

 

歌のなかに垣間見える、有名人との恋の破局っぽいドラマが、何がどうして結局どうなったのか、さっぱり分からない。いや分かるといえば分かるけど、途方もなくて途方にくれるというか。

 

なのに、歌の破壊力に飲み込まれて、なんか納得してしまう。

 

演歌という様式の力技なんだろうか。

あるいは桑田佳祐氏の神業なのか。

それらをまとめ上げて歌う坂本冬美さんの声の凄さなのか。

 

で、歌詞である。

 

「悪い男」と知りながら所帯持つことを夢見ていた「私」は、どうやら「男」に殺されて、死体遺棄されたらしい。

 

つまり死んでる。ちゃんと「土の中」にいると言ってるし、間違いなく死んでいる。

 

でも魂が「この世」に残っていて、「男」との過去を回想したり、自分の死後に「男」がテレビ出演している様子をチラ見したりしながら、成仏もしくは輪廻転成前のひと時を過ごしているらしい。

 

「男」は人を見下す目つきをしていて、服の趣味も悪く、箸の持ち方などは許容できないほどキモかったようだ。

 

なんでそんな酷いのと付き合ったのかと思うけど、演歌に出てくる女性って、たいていロクデナシと付き合って捨てられているように思うから、そこはそういう仕様でいいのだろう。

 

だけど、「捨てられた」=「殺された」という演歌は、未だ嘗て聞いたことがない。歌詞の主役であり一人称の本人でもあるヒロインが、殺人事件の被害者で既に故人という歌も、ほかに知らない。私が知らないだけなんだろうか。

 

歌の中の「私」は、あれこれと恨み節を語るものの、取り憑いて祟るほどの執着もないようで、「おかあさん」や「故郷」や「みたらし団子」への想いはあるものの、「この世」とはきっぱりおさらばする所存らしい。

 

けれども、所詮お釈迦のようには解脱できないと悟ったようで、再び生まれ変わって「男を抱くわ」と宣言して終わる。

 

 

南無……

 

 

だけど、だったら曲名の「仏陀のように私は死んだ」とは、どういうことなのか。

 

仏陀は食中毒で身体が弱ったのが遠因で亡くなったと記憶している。殺人事件の被害者ではない。

 

歌の「私」にも、仏陀的要素はなさそうな気がする。女性だし。

 

 

彼女のどのあたりが「仏陀のよう」だったんだろう。

 

容姿だろうか。

パンチパーマで、眉間にでっかいほくろがあるとか。

 

それとも、実は男性だったとか。

 

分からない。(´・ω・`)

 

坂本冬美さんの歌声、切ないのにどこか冷静で、案外あっさりこの世を去っちゃう感じが、この曲にぴったりだと思うけど、他の歌手の声でも聞いてみたい。

 

男性歌手でもいいな。

「殴るよ」のところとか、ドス効かせて歌ってほしい。

 

さっきから何十回も聞いてるので、そろそろ覚えてしまいそうだけど、難しい曲だから、とてもカラオケで歌えそうにない。歌ってる間に笑っちゃって続かない気もする。

 

 

そもそも、桑田佳祐氏の歌詞に理屈の整合性を求めても、あんまり意味はない。

 

情熱的な恋を歌ったようにも聞こえる「チャコの海岸物語」だって、前半と後半で彼女の名前が入れ替わってるし。

 

 

 

うん、懐かしい。

 

さて、療養日記にもどろう。

 

 

1月2日(土)の朝

 

目が覚めたとき、うつ伏せの姿勢だった。

 

CPAPを外して、寝返りしようと思ったら、胃の中に大きな石でも入っているような感触があって、胴をひねろうとすると、かなり痛い。

 

私の目が覚めていることに息子が気づいて、何度も様子を見に来ては、

 

「起きて」

 

と声をかけてくる。

 

起き上がりたかったけど、痛みが怖くて動けなかった。

 

30分ほどすると、何事もなかったかのように、胃の痛みは消えた。何だったんだろう。

 

痛みが治まってから、息子が、まるで普通の青年のように、ごく自然な声で、「起きて」と言っていたことに気がついた。

 

息子(23歳・重度自閉症)が私を起こしにくるのは、いつものことだけど、「起きて」と言われたことって、これまでにあっただろうか。

 

あったとしても、今朝の「起きて」ほど、自然な発声ではなかったはずだ。

 

そのまま、「朝ごはんたべようよ、お腹すいたし」と、普通に会話を続けても不思議じゃないほどわ

 

息子が言葉を発するときには、喉に不自然に力が入ったり、アクセントが奇妙だったり、平板すぎたりして、AIやロボットみたいな感じの発話になることが多い。

 

昨年あたりから、言葉を出す頻度がとても増えてきているのだけど、それに伴って、なにか息子の言語能力に変化が起きているのかもしれない。

 

だとしたら、しっかり様子をみて、変化を把握しておきたい。息子と会話のキャッチボールをするのが、私の夢なのだから。

 

寝坊したので、亭主と息子以外の家族は、朝昼兼用ごはんとなった。

 

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おせち料理の続きと、お雑煮。

 

午後

 

わりと体調が良かったので、シャワーを浴びてみることにした。

 

実は、大晦日も元旦も入浴をパスしていた。

 

新型コロナ発症以来、湯船に入らなくても、風呂上がりの疲労が凄まじくて、着衣すらつらいと感じることが多くなった。

 

病院では、せっかくユニットバスつきの個室に入れてもらっていたのに、風呂場で気持ち悪くなって倒れるのが怖くて、結局二回しかシャワーできなかった。

 

退院後は、少しずつマシになっている気もするけれど、辛くなりそうなときには、無理して入らないことにしている。

 

3日ぶりのシャワーは、とっても快適だった。

上がってからの動悸も、それほどひどくなかったので、30分ほど椅子に座って、お茶を飲んだり、年賀状のお返事を数枚書いたりした。

 

でも、そのあたりが今日の限界だったようで、地に引きずり降ろされるような疲労の重圧がやってきたので、布団に戻った。

 

 

その後は、ラノベを読んだり、パズルゲームで気を紛らわしたり、時折起きておやつを食べたりして過ごした。

 

 

おやつ

 

亭主と息子が買い物に出て買ってきてくれた、クレームブリュレ。半額シールがついてたけど、剥がした。

 

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ものすごく濃厚で、とっても満足だった。

 

一食分少ないので、夕方ごろにお腹が空いて、おやつ追加。

 

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年末に亭主が買い置きしておいてくれは、ういろう。美味。

 

椅子に座って食べていると、20分くらいでしんどくなるのだけど、布団で小一時間も横になっていると、疲労感は抜けていく。

 

回復力が増してきていると感じる。

 

無理せずに、様子をみながら少しづつ起きる時間を増やしていこう。

 

 

 

晩ご飯。

 

 

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メカジキのソテー。亭主作。

 

私が焼くと、バターたっぷり、ニンニクどっさりの濃厚な一皿になってしまうのだけど、亭主はバターを使わず、少量のサラダオイルと米酢で、あっさり仕上げていた。食べやすくて、おいしかった。、

 

添えてある筍の煮物な、保健所からいただいた籠城用物資の残りとのこと。それに、柚子の皮を(亭主が)刻んで載せて、とても美味しくいただいた。

 

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バジルとトマトとチーズのサラダ。亭主作。

すごくおいしかった。トマトとバジルの生命力が、身体に沁み渡るように感じた。

 

 

夕食後

 

布団で横になって、ずーっと「仏陀のように私は死んだ」をエンドレス再生しながら、これを書いている。

 

亭主に、何聴いとるのかと聞かれたので、「仏陀のように私は死んだ」の歌詞について簡単に説明してから、

 

「これ、何回も聴いてると、なんとなく男の人の述懐みたいな気がしてきたんだけど」

 

と言ったら、

 

「ああ、演歌は大体そうやで。甲斐甲斐しく会社に尽くした挙句切り捨てられるオッサンの気持ちそのものやと。よく言われてる話やで」

 

と言っていた。

 

身も蓋もなさすぎる。(´・ω・`)

 

 

 

今日は早めに寝よう。