朝の挨拶と健康観察
おはようございます。
今朝も挨拶から書き始めてみます。m(. .)m
昨日の外出予定は、結局キャンセルしました。
めまいがあったので、こりゃやめたほうがいいだろうと。
楽しみに通っている習い事なので、残念でしたが、このごろは少しばかりの無理でも、一週間は後を引くので、心を鬼にして引きこもりを心がけています。
しかし引きこもっていても、結局ムリをしていることが多いという・・・。
昨日は、樋口一葉を読んでいて、わからないことがあったので、いろいろと調べているうちに、時間がかかってしまい、疲れをため込んでしまいました。今朝は、めまいはおさまっているものの、肩こりと目の疲れからくる頭の重さがきついです。
持病がいろいろとあるので難しいですが、どうにかして、スカッと元気になりたいものです。(´・ω・`)
樋口一葉
読んでいたのは、「闇桜」という掌編。青空文庫で読むことができる。
幼なじみへの恋心を自覚しただけで、極度の睡眠障害と抑うつ状態に陥り、衰弱して命を落としてしまうらしい少女と、彼女に思われていることを、亡くなる直前に知って愕然とする少年の物語である。
現代の感覚だと、とてもありえないような恋の物語だけれど、医療技術がそれほどなかった時代であれば、恋煩いで体調を崩したところにインフルエンザにでもかかってしまい、命が危険な状態になるということは、ない
「命を落としてしまうらしい」と、推測の形で書いたのは、作中では、彼女の死をはっきりとは書いていないからである。しかも彼女はいまわの際に、明日お詫びをしたいと、彼に声をかけている。もしかしたら、その後奇跡の復活を遂げて、幼なじみと結ばれた可能性は……まずないとは思うけれども、絶対にないわけではないとも思うので、「らしい」としておいた。
でも、翌日にお詫びをしたあと、彼の背後にひっそりと取り憑くというのなら、ありそうな気がする。今風にいうと、「なしよりのあり」というところか。
検索してたら、「ありよりのあり」という歌が出てきた。
幼なじみ以上、恋人未満で終わってしまった「闇桜」の主人公も、こんな歌が歌える時代だったら、たとえ思いを伝えられなかったとしても、死なずに済んだだろうに。
「闇桜」は、ちょうど、樋口一葉が、半井桃水との恋愛スキャンダルに見舞われるころに書かれたものだ。一葉の人生について詳しくなかったので、この際だから樋口一葉日記を読んでみようと思ったけれど、残念ながら、日記は青空文庫には入っていない。
そのかわりに見つけたのは、国立国会図書館デジタルコレクションの画像データ。
昭和9年に発行された、樋口一葉全集の第四巻、「一葉日記集」が、パソコンでそのまま読める。
で、思わずあちこち読みふけって、無理をして、今日も体調が悪いという…。
小説や映画、漫画に出てくる病気を収集するという、我ながら悪趣味なブログをやっていて、そちらにも記事を書いている。
樋口一葉の作品は、古文の読解力だけでなく、和歌の知識がしっかりしていないと、まともに意味を読み取れないのだなと、あらためて実感。
「涙しなくばと云ひけんから衣胸のあたりの燃ゆべく覚えて」
物思いによる不眠のつらさを描写するこの一文が、紀貫之が歌合せのときに詠んだ歌を引いているなんて、古典的教養のない私にはわからない。
君恋ふる 涙しなくは 唐衣 胸のあたりは 色燃えなまし (古今和歌集 572)
樋口一葉を読んでいて、なんか意味がとれないフレーズが出てきたら、古典文学を検索すべきであると学んだ。