朝からなんだかお腹が痛い。
軽い吐き気もする。
また風邪でも引いたのか。(~_~;)
家事もままならないから、横になったり座ったりしながら、iPhoneでネットを眺めたり音楽を聴いたりしている。
すると、Twitterで「無関係企業」という、奇妙な言葉がトレンドに入っているのを見かけた。
何かと思って眺めてみたら、これだった。
あまりにもひどい事故ではあった。
腹を立てた人、恐ろしく感じた人は、とても多かったことだろう。
私もそうだ。
だからといって、真偽の確認できない情報をもとに、見知らぬ会社に電話をかけてやろうなどということは、夢にも思わない。
確実に関係がある会社だと分かったとしても、まず間違いなく、電話はしない。
そもそも、こうした場合に、どういう目的を抱いて電話をするという行動を起こすのかが、うまく想像できない。
電話をする。
一方的に怒りをぶつける。あるいは無言で切ることを繰り返す。
相手がどうなれば、こうした行動を起こした人々の目的は「達成」されるのか。
謝罪ではないだろう。
誰かに謝ってほしい人は、普通、無言電話をかけない。
何を言っても(無関係だと説明しても)一方的に怒鳴る、脅すという人々も、謝罪を求めているとは思えない。
電話をかける人々の意図がどうであれ、こうした嫌がらせ行為が日常的に、大量に続けば、よほど神経の太い人でない限り、参ってしまうだろう。ネットの風評被害も相まって、最悪の場合、日常や人生が破滅する。
ターゲットとした相手を叩き、手段を選ばずに破滅へと追い込もうとする情動というものは、一般的には、個人的な怨恨からくるものだと思う。言うなれば復讐、仇討ちだ。
相手は誰でもいいから、何かの理由で報復したい、叩き潰して、破滅するところを見たいと考えて動く人が、世の中には一定数いるということなんだろうか。
そうか。
私には、報復したいと思うような相手がいない。
心から破滅を望むような人物もいない。
だから、スッと理解できないのだろうな、電話する人たちの気持ちが。
嫌いな人はもちろんいる。
迷惑な人もたくさん知っている。
だからといって、その人々の破滅を望むかといえば、そんなことは全く望まない。
人の破滅なんか見ていても楽しくない。
それがたとえ、どんなひとの破滅であっても。
私がどう思おうと、薄い根拠のもとに選ばれ、晒された他人の破滅を望み、安全圏で行動を起こそうとする人々がいる。
こう書くと、とても怖いけれども、有名人に対しては、マスコミやネットの利用者によって、常時行われていることでもある。
それはもしかしたら、報復の形をとった、カジュアルな娯楽の一種であるのかもしれない。
「ざまあ見ろ」という言葉は、寒々しい。
それを言う人だって、誰かから「見られて」いるのだ。
その誰かも、次に破滅する誰かを待つ人かもしれない。「ざまあ見ろ」というために。
いやだな。
報復のスタイルをとった娯楽なんて、いらない。
そんなことより、猫の写真のほうが、ずっといい。
でもうちには猫がいないから、せめて破滅や「ざまあ見ろ」とは反対側にあることについて、書こうと思う。