湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

和歌メモ(雨の歌)藤原俊成

藤原俊成の、五月雨とホトトギスの歌。

 

入道前関白、右大臣に侍りける時、百首歌よませ侍りけるに、時鳥歌

 

太后宮大夫俊成

 

むかし思ふ草の庵の夜の雨に涙な添へそ山ほとぎす

 

(むかしおもう くさのいおりの よのあめに なみだなそえそ やまほととぎす)

 

新古今和歌集  巻第三 夏歌 201

 

 

太后宮大夫俊成……藤原俊成(ふじわらのとしなり・しゅんぜい)。九条兼実の歌壇の師として迎えられ、右大臣家百首(治承二年・1178年)などを詠進する。後白河院院宣で「千載和歌集」を編纂。

 

入道前関白……九条兼実NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、ココリコの田中直樹が演じていた(ということに、だいぶ後になって気づいた)。「愚菅抄」の著者である慈円の兄(「鎌倉殿」では山寺宏一が演じていた)。藤原俊成、定家親子の庇護者でもあったらしい。

 

涙な添へそ……涙を添えないでくれ。

 

ほととぎす……五月雨の季節に鳴く。

 

夜の雨……ほととぎすが鳴く季節なので、梅雨ということになる。

 

 上の歌は、白居易漢詩を元にしたものであるという。

 

蘭省の花の時の錦帳の下 廬山の雨の夜の草庵の中

 

【訳】

 

(今頃都のあなたたちは宮中の)尚書省の(豪華な)錦の帳(とばり)のもとで宿直していることだろう。(江州に左遷された私は)廬山の雨降る夜に、ただ独り草庵の中で過ごしている。

 

和漢朗詠集 白居易  555

 

角川ソフィア文庫版から引用)

 

尚書省……唐の行政機関。宮城のほぼ中央にあったらしい。

 

*錦帳……宿直様にしつられられた錦織の帳「とばり)。

 

 ただ、この歌を詠む二年前に、俊成は咳の出る病気のために、職を辞して出家しているので、「むかし思ふ」という思いには、実感が込められていたのかもしれない。

 

 

【蛇足つきの意訳】

 

 山の中の草庵に隠棲し、思うのは、華やかなりし昔のこと…

 

 ホトトギスよ、五月雨の降る夜に、これ以上、私を泣かせてくれるな。

 

……

 

 なんかね、私の人生、いろいろあり過ぎだと思うのよ。

 

 若いころは、頑張っても頑張っても、ぜんぜん出世できなくて、でも歌だけは認められて、時の帝の和歌サロンで名を上げたりしてたけど、その帝、私の歌を好んで下さった崇徳院様は、讃岐に流されて怨霊化……したかどうかは知らないけど、悲惨な最期だったのは確か。

 

 まあでも、崇徳院様のお父上、鳥羽天皇の皇后でいらっしゃった美福門院様に仕えていた女性を後妻にもらったおかげで、三十路過ぎてから少しずつ官位が上がってきて、六十過ぎに、念願の公卿になれたんだけど。

 

 咳が止まらなくて退職するしかなくなるとか、もうね。

 

 あと何年、生きられるのかなあ。

 

 

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 この歌を詠んだとき、六十四歳くらいだった俊成は、1204年、91歳で大往生を遂げる。

 

 

 

 

 




 

 

和歌メモ(雨の歌)

 

古今和歌集の、詠み人知らずの歌。

 

題しらず

 

かげろふのそれかあらぬか春雨のふる人なれば袖ぞ濡れぬる

 

(かげろうの それかあらぬか はるさめの ふるひとなれば そでぞぬれつる)

 

 

古今和歌集 巻第十四 恋歌四 731

 

 

 

*かげろふ…陽炎。存在がはっきりしないものなので、「それかあらぬか」との意味のつながりから、枕詞と見る。

 

*それかあらぬか…それなのか、それではないのか。

 

*ふる…「古」と、「降る」がかけてある。

 

*ふるひと…昔、関係していた相手。元カレもしくは元カノ。

 

読んですぐに連想したのは、竹内まりやの「駅」という歌。

 

おかげで意訳もそっちに引っ張られてしまったのだけど、後悔はしていない。😐

 

 

【怪しい意訳】

 

 春雨の降る日に、見覚えのある服の人を見かけて、胸が震えた。

 

 顔は見えなかった。

 でも、あの歩き方、ほんのちょっとしたしぐさ。

 

 昔好きだったあの人だと、すぐに分かってしまう自分が悲しい。

 

 もうとっくに終ってしまった恋なのに。

 かげろうみたいに、脆くて儚い関係だったのに。

 

 どんなに月日が経っても、彼にだけは泣かされてしまうのね。

 

 できることなら、さりげなく声をかけて、「元気だった?」って聞きたかったけど、きっと一生無理だと思う。

 

 

 

 

和歌メモ(雨の歌)藤原定家

今回は、藤原定家の雨の歌。

 

五月雨の心を

 

藤原定家

 

玉ほこの道行人のことづても絶えて程ふるさみだれの空

 

(たまほこの みちゆきびとの ことづても たえてほどふる さみだれのそら)

 

 

新古今和歌集 232

 

*玉ほこの……「道」にかかる枕詞。古代では、玉の飾りのついた鉾(ほこ)を、道路標識として立ててあったのかもしれない。

 

*みちゆきびと……旅人。通行人。

 

*ほど……時間。

 

*ふる……年月がたつ。老いる。古びる。(雨が)降る。

 

*ことづて……伝言。

 

上の定家の歌は、柿本人麻呂の作だろうと言われる歌を踏まえているらしい。

 

恋ひ死なば恋ひも死ねとや玉ほこの路行人の言も告げなく

 

(こいしなば こいもしねとや たまほこの みちゆきびとの こともつげなく)

 

万葉集 2370

 

恋ひ死なば恋ひも死ねとや玉桙の道ゆき人にことづてもなき

 

(こいしなば こいもしねとや たまほこの みちゆきひとに ことづてもなき)

 

拾遺和歌集 937

 

 最後のところが少し違っているけど、「恋ひ死なば恋ひも死ね」という強烈な表現は変わらない。

 

  万葉集の「言も告げなく」は、「辻占」のことを言っているのだという。

 

 夕方に、道の辻に出て、聞こえてくる通行人の言葉から占うもので、古代にはよく行われていたらしい。

 

 恋焦がれて半狂乱の状態で道端に立ち、見知らぬ人々の言葉の片鱗から、恋しい相手につながる何かを見つけ出そうとしている、ちょっと危ない人物の姿が思い浮かぶ。

 

 拾遺和歌集の「道ゆき人にことづてもなき」は、占いのような超常現象に頼るのではなく、普通に伝言を待っているようにも思えるけれども、苦しい気持ちに変わりはなさそうだ。

 

 それと比較すると、藤原定家の歌は、だいぶ冷静になっている印象がある。

 

【怪しい意訳】

 

 五月雨の空を見上げながら、ふと思う。

 

 あの人との繋がりが途絶えから、どれほど経っただろう。

 

 手紙のやりとりはもちろん、人づてに様子を聞く機会すら、なくなって久しい。

 

 私の家の前の道は、あの人の住む家にも繋がっている。

 

 昔の人のように辻占をしてみたら、あの人の思いを少しは知ることができるのかもしれないけれど…

 

 あの頃のような狂おしい恋の思いは、私の心からは、もう消えてしまった。

 

 

和歌メモ(紫陽花)藤原定家

紫陽花の歌は、万葉集に二首だけ。

 

一つは前回書いた橘諸兄の歌。

もう一首は、大伴家持の歌なのだけれど、意味の分からない語が含まれているため、解釈が定まっていないという。

 

その後の勅撰和歌集には、紫陽花の歌は収録されず、私撰和歌集や私家集などに少数あるというけれど、確認できていない。

 

平安末ごろから、少しずつ紫陽花の歌が詠まれ始めたようで、藤原定家の「拾遺愚草」で見つけることができた。

 

あぢさゐのしをれて後に咲く花のただ一枝は秋の風まて

 

あじさいの しおれてのちに さくはなの ただひとえだは あきのかぜまて)

 

藤原定家  拾遺愚草 

 

定家の歌にしては、凝った作り込みの感じられない素直な歌のように感じるけれども、よく考えると、なぜ紫陽花に「秋の風まて」と願うのか、よく分からない。

 

暑い夏の間も、庭先でみずみずしい紫色を保って、見る者の目と心を涼ませてほしい…ということだろうか。

 

それとも、夏の盛りを前にして、枯れた色を見せる紫陽花に、「お前にふさわしいのは夏じゃなくて秋だから、そこまで我慢しろ」と言いたいのだろうか。

 

あるいは、「見慣れ過ぎて飽きがくる(秋が来る)まで、そこで咲いていろ」ということか。

 

 

【怪しい意訳】

 

鮮やかだった紫陽花が、夏の強い日差しに耐えられずに色褪せて萎れていくのは、寂しいものだ。

 

だけど今年は、薄茶色の枯れ花の中に、みずみずしく咲く一枝が残った。

 

その一枝に、私は願う。

 

どうかこの酷い夏を乗り越えて、涼やかな秋の風が吹く時まで、咲き残っておくれ……

 

 

あのさ……時々いるよね、場違いなくらい、急に洗練されて、美しくなる人とか。

 

あと、晩成型っていうのかな。同世代が伸び悩み始めたころになって、ぐんぐん才能伸ばしちゃう人とか。

 

そういう人って、見てるとわくわくするよね。

 

で、このまま変わらない勢いで、いろんな壁を乗り超えて、ずっと素敵さを維持していてほしいなって、思ったり。

 

まあ、そんな奇跡的な事例なんて、秋まで咲いてる紫陽花よりもレアなんだけどさ。

 

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さすがに穿ち過ぎだったかも。😓

 

 

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和歌メモ(雨の歌)

まず、古今和歌集の、紀友則の歌。

 

五月雨に 物思ひをれば時鳥 夜ぶかく鳴きていづちゆくらむ

 

さみだれに ものもいおれば ほととぎす よぶかくなきて いずちゆくらむ)

 

古今和歌集 153

 

*夜ぶかく……「夜深く」と「呼ぶ」がかけてある。

 

紀友則は、紀貫之の従兄弟で、歌の才能は認められていたものの、晩年まで無官だったという。三十六歌仙の一人。百人一首に、「久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」が入っている。

 

【意訳】

 

五月雨の降る夜。

 

何をする気も起きなくて、もの思いに沈んでいたら、僕を呼ぶかのように、ホトトギスが鳴いた。

 

ねえ、君はどこへ飛んでいくの?

 

こんな深い夜の向こうに、もしも何かがあるのなら、叶わぬ恋の苦しみも、職につけない惨めさも忘れて、僕も一緒に飛んで行きたいよ。

 

 

次に、在原業平の歌。

 

起きもせず寝もせで夜を明しては春のものとてながめくらしつ

 

(おきもせず ねもせでよるを あかしては はるのものとて ながめくらしつ)

 

古今和歌集 巻第十三 恋歌三  616

 

 

*ながめ……「眺め」(物思いをする・眺める)と「長雨」がかけてある。

 

 この歌は、「伊勢物語」の第二段にも出てくるので、それも含めて意訳を作ってみる。

 

 

むかし、男ありけり。

 

奈良の京は離れ、この京は人の家まだ定まらざりける時に、西の京に女ありけり。

 

その女、世人にはまされりけり。

 

その人、かたちよりは心なむまさりたりける。ひとりのみもあらざりけらし。

 

それを、かのまめ男、うち物語らひて、帰り来て、いかが思ひけむ、時は弥生のついたち、雨そほ降るにやりける、

 

起きもせず寝もせで夜を明かしては春のものとてながめ暮らしつ

 

伊勢物語   第二段

 

 

【やべえ意訳】

 

 昔、やべー野郎がいてな…

 

 遷都があって、みんな奈良の都からは出たんだけど、新都心はまだ家がなくてガラガラだったころ、一つ前の都だった長岡京ってとこに、ちょっといい女がいたのよ。

 

 その女は、見た目はほどほどだけど、性格美人ってタイプで、付き合ってる男も一応いたらしいんだけどな。

 

 例のやべー野郎が目を付けて、わざわざ家に会いに行っちゃったのよ。

 

 あいつって、女にはとにかくマメでなあ。

 

 女の心をつかみまくるトークをたっぷりかまして、思いっきり気を持たせて帰ったわけよ。

 

 で、何を考えたかは知らんけど、こんなメールを送ったんだと。

 

……

 

 昨夜はずっと、雨だったね。

 君は、どうしてたかな。

 ちゃんと眠れたの?

 

 それとも、眠れずに雨の音を聞いてた?

 

 僕は、寝ようと思っても、なんだか眠れなくてさ。かといって、ベッドから出る気にもならなくて。

 

 結局朝までずっと、君と話したことを思い返してたんだ。

 

 僕たちの間には、なにか特別なものがあった。

 君と僕だけに通じ合う何かが。

 そう思うのは、僕だけかな。

 

 それとも、春だから、こんな気持ちになるんだろうか。

 

 君なら分かるよね、僕の気持ち。

 

……

 

  ほんとコイツ、やべーよね。

 言ってることの中身はスッカスカなのに、ちょっと寂しさを抱えた女なら、ころっと引っかかるよ、これ。

 

(この意訳を土台にした掌編を、別のサイトに掲載しています)