こんにちは。
健康アプリ「あすけん」で食事管理を始めて、八日目になる。
つまり、プロテインなどで、タンパク質摂取量の基準値を満たすようになって、八日目ということでもある。
今のところ、はっきりと分かる体調の変化は、次の三つ。
まず、一つ目。
中途覚醒がなくなった。
そして、睡眠時間が短くても、深く眠れるようになっている。そのためか、朝起きたときに感じていたぐったり感が、ずいぶん減った。
二つ目。
頭皮などにたくさん出来ていた瘡蓋が、ほとんど消えて、抜け毛が減った。
昨日気づいたのだけど、2年くらい前から右耳の耳殻にずっとあった瘡蓋が、無くなっていた。
瘡蓋が無くならなかったのは、自然に剥がれ落ちたときに、傷がきちんと治っていなかったためだと思う。
三つ目。
精神状態がとても良くて、意欲や集中力の低下が起きにくくなっているので、読書やブログ更新などが苦にならなくなった。気持ちが落ち込むことも減った。
中途覚醒も頭皮の状態悪化(+抜け毛、薄毛)も、老化のせいだと思っていた。
タイミング的に、目に見えて色々と悪化し始めたのが新型コロナの後遺症に苦しんでいた頃だったので、コロナで身体が弱って老化が早まったのだと思い込んでいた。
うつ病はコロナ前から患っていたけれど、読み書きのしんどさが酷くなったのは、コロナ後遺症からだった。
実際、コロナ入院後に食がだいぶ細くなってしまっていたので、コロナがきっかけだったというのは間違いではないとは思う。
でもタンパク質の適切な摂取で状態が改善し始めているのだから、根本原因はコロナではなく、栄養失調だったのだろう。
いろいろ調べてみたところ、タンパク質不足は、瘡蓋程度で済むものではないようだ。
全身の筋力低下。
免疫力の低下による、感染症の深刻化、がんの再発や転移のリスクの悪化。
思えば、三年半前に新型コロナに感染したとき、息子はほぼ無症状、亭主は軽症で済んだのに、私だけ肺炎をこじらせて入院になった。あの頃から既にタンパク質が足りていなかったのかもしれない。
ほんと、気をつけよう。(´・ω・`)
(_ _).。o○
午前中は、教会学校へ。
末っ子は生理痛が重すぎて布団から出られなかったので、私一人で参加した。
今日は、マルコによる福音書第10章の、盲目のバルテマイのお話だった。(46節〜52節)。
目が見えないために物乞いをして暮らしていたバルテマイは、ナザレのイエスが近くに来ていることを知ると、大声で叫んで、イエスに哀れみを乞うた。
周囲の人々はバルテマイを黙らせようとしたけれど、イエスは彼を呼び寄せて、望みを聞いた。
バルテマイが「見えるようになること」を望むと、イエスは「行け、あなたの信仰があなたを救った」と言った。
たちまち視力を得たバルテマイは、他所に行かずに、イエスについて行ったという。
バルテマイが「救われた」のは、彼自身の信仰によるものだと、イエスは言っている。
彼は見えるようになることを微塵も疑わず、全力でイエスに縋って、ためらうことなく望みを伝え、叶えられた。
そうして、新たに切り開かれた人生の無限の選択肢の中から、イエスに付き従うという、世俗的な幸福からかけ離れていそうな道を迷わずに選びとって、あっさりそちらに行ってしまった。
何も見えない人生を歩んでいたバルテマイだけれども、迷うことなく自分の道を見定めることのできるほど、強い信仰の力を持っていた。
目が見えるようになることは、バルテマイにとっては、人生の目的ではなくて、イエスの旅に付き従って、深い信仰に生きるという願いを叶えるために、どうしても必要な手段だったのだろう。福祉サービスなどない古代では、盲目のままで旅することは不可能だっただろうから。
現代の医療技術でも、先天的に目が見えなまま成長してしまった人が視力を獲得することは、とても困難だと聞く。
けれども、生まれつき、どれほどのハンディを持っていたとしても、何かをしたいという強い願いと、それを叶えようとする意志や努力、周囲の支援があれば、何らかの形で叶う可能性は、決してゼロではない。
2000年前であれば奇跡と言われたような、現代の先端技術なども、人々の長年の強烈な意志や願いが具現化したものだと言える。
バルテマイが視力を得たのは彼自身の信仰によるものだとイエスが断言したことが、私には興味深く思われる。
文明の進化を推し進めてきた意志や願いは、神に向けられたものではないから、信仰とは違うものだけれども、たとえ路傍の盲目の物乞いであろうとも、人の心には不可能を可能にし、世界を変えるほどの力があるのだと、イエスが認めているように思えるからだ。
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教会の帰りに、スーパーに寄って、食材などを買って帰宅。
長女さんと末っ子が好物の紅茶豆乳などを買って帰宅。
キッコーマンの紅茶豆乳は、200ミリリットルでタンパク質を4g含むとのこと。📝