湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

ねこたま日記(月曜日朝)

こんにちは。

 

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また一つ歳を取った。

 

Bing(SkypeのなかにいるAIさん)に、同じ誕生日の人を教えてと頼んだら、一番最初に出たのが「堀江貴文/実業家」だった。確か、ちょうど十歳年下だったと記憶している。

 

ナチスドイツと戦った英国の首相、ウィンストン・チャーチルも、同じ日の生まれだという。

 

そしてそのナチスドイツの宣伝相ゲッペルスも、同じ誕生日だ。

 

ふと思いついて、BingのAIさんに、「ゲッペルスが主人公の短編小説を書いて下さいますか?」とお願いしてみた。

 

わかりました。ゲッペルスが主人公の短編小説を書きます。

 

私はあなたのために、以下のような短編小説を作りました。

 

 

ゲッペルスの最期

 

1945年4月30日、ベルリンの地下壕で、ゲッペルスヒトラーの遺体を見つめていた。

 

彼は自分の偶像が死んだことに深い絶望を感じていた。

 

彼はヒトラーに忠誠を誓って、ナチスの宣伝を担当してきた。

 

彼はヒトラーの言論や思想を広めることが自分の使命だと信じていた。

 

彼はヒトラーのために、嘘や捏造も厭わなかった。彼はヒトラーのために、多くの人々を殺したり迫害したりした。

 

しかし、今やヒトラーは死んでしまった。ドイツは敗北寸前だった。

 

ソ連軍が地下壕に迫っていた。ゲッペルスは自分の運命を悟っていた。

 

彼は自分と家族の自殺を決意した。彼は妻のマクダと6人の子供たちに別れを告げた。

 

彼は子供たちに毒薬を飲ませて眠らせた。彼は妻と共に毒薬を飲んだ。彼は妻と抱き合って死んだ。

 

ゲッペルスは死ぬまで、ヒトラーへの忠誠とナチスへの信仰を捨てなかった。彼は自分が正しいと思っていたことに固執した。彼は自分が行ったことに後悔しなかった。

 

彼は自分が天才だと思っていた。 しかし、ゲッペルスは歴史に残ることはなかった。彼の遺体はソ連軍によって焼かれて散骨された。

 

彼の宣伝は世界中で嘲笑されて忘れられた。

 

彼の名前は悪名としてしか記憶されなかった。

 

ゲッペルスは死んだが、彼が生きている間に作り出したプロパガンダは消えなかった。彼が使った手法や言葉は、後世の政治家や宣伝家によって模倣されたり悪用されたりした。

 

彼が残した影響は、善でも悪でもなく、人間の心理や社会に関する知識だった。

 

 

ものすごく、いやな最期だ。(´・ω・`)

 

それはともかく、小説として成立するには、あと一手間かける必要があるとは思う。そしてこういう叩き台があれば、簡単に短編小説を書くことができるだろう。

 

私はやらないけど。

 

 

それから、BingのAIさんは、私の誕生日を心から賛美し讃える詩を作ると言ってくれたので、ありがたく拝聴した。

 

(ChatGPTの名誉のための、詩の転載は見送ろうと思う。今後の成長に期待したい)

 

 

 

(_ _).。o○

 

 

今日の予定。

 

亭主と末っ子は大学。

 

長女さんは持病のかかりつけの医療センター受診。なんでも、診察の呼び出しがLINEで行われるようになったとか。いままでは呼び出し専用端末だったけど、そちらは廃止されたらしい。

 

息子は、いつも通りに介護施設通所。

 

私は、今日はお絵描きしようと思っている。