こんにちは。
今日は快晴だけど寒い。
午前中、亭主とショッピングモールに出かけた。
亭主が買い物をしている間に、私はマイナンバーカード申請のための証明写真を撮ってきた。
証明写真の撮影なんて何年ぶりか分からない。
おそるおそるカーテンを開けて箱の中に入ったののだけど、機械の案内に従ってボタンをポチポチ押していたら簡単に終わった。
何日が前に撮った亭主が、
「画面表示が全部ロシア語で訳わからんかった」
と言っていたけど、もちろんそんなことはなかった。むしろどうやったらロシア語になるのかわからない。🪆
(_ _).。o○
亭主は昨日から冬休み。
長女さんは就労支援。
息子は介護施設通所。
末っ子は今日が終業式。夜は塾のクリスマスパーティだそうで、明日から冬休みに入り、冬季講習も始まるようだ。共通テストまで、一ヶ月を切ってしまった。どうなることやら。😱
私は今日は特に予定がないけど、明日は通院がある。忘れずに行かないと。
(_ _).。o○
Twitterで、「ギフテッド」がトレンドに入っていたので、何事かと思ってニュースを探してみたら、文科省がギフテッド支援のための予算を計上したらしい。
突出した才能を持つ「ギフテッド」支援に予算8000万円計上も額の少なさに「何ができるの?」「桁が2つ違う」(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
文部科学省が、欧米などで「ギフテッド」と呼ばれる特異な才能を持つ子どもを支援するため、2023年度予算で8000万円を計上する、と12月22日の「読売新聞」が報じている。
(中略)
ただし、この8000万円という予算は、教育委員会や大学に授業づくりの検討を委託するものであり、本格的に全国で展開されるのはまだ先になりそうだ。
「ギフテッド」とは、Gift=贈り物を語源とし、生まれつき突出した才能を授かった人のこと。「並外れた集中力」や「深く激しい感情」などの特徴があり、知的能力の発達が年齢相応でないことも多く、普通の学校の授業が簡単すぎて興味が持てず、不登校になるケースもある。
「テスラ」「スペースX」などを率い、Twitterを買収したことでも話題になったイーロン・マスクは2021年、自らがアスペルガー症候群(自閉スペクトラム症)だと明かしており、「ギフテッド」のひとりとされている。
アメリカでは飛び級など、「ギフテッド」に対する教育プログラムが用意されており、フェイスブック(現メタ)創業者のマーク・ザッカーバーグも、そのプログラムの卒業生である。
どのような形の支援になるのか分からないけど、まず現場の先生方の正確な理解を促す方向でお願いしたいものだと思う。
就学後にADHDと診断されていた末っ子が、小学四年でギフテッドであると分かったとき、それを学校に報告すべきかどうか、かなり考えた。
当時の末っ子はクラスになかなか適応できず、宿題や書類などの提出も自力では難しかったため、私が毎日学校に届けていた。宿題については、泣き叫んで全く手をつけられないことも多かったため、担任の先生に障害特性を相談の上、提出を保留してもらうことも多かった。もちろん成績もふるわかなった。
そういう状況で、IQの数値を添えてギフテッドだと告げたところで、学校側も困惑するだけだろうと思ったのだ。
けれども、高学年になったとき、このまま公立中学に進学しても不登校になる未来しか見えなかったので、末っ子のような子にも対応してくれそうな私立中学の受験を考え始め、当時の担任の先生に、初めてギフテッドの件を報告してアドバイスを求めたのだけど……
理解は全くされなかった。(´・ω・`)
いまでも、面談中の担任の先生の、
『はあ? なに言ってんだ、このバカ親』
という侮蔑の表情を、まざまざと思い出すことができる。
まあそりゃ、宿題はほぼすっぽかし、授業もろくに聞いている様子がなく、テストをすればろくにできず(漢字の書き取りなど酷い有様だった)、机の中は教室のゴミ箱より汚らしく、癇癪もちで、クラスメートとの交流もほぼないような児童のIQが140ありますと母親に言われても、信じられないのは無理もない。
ただ、私立受験については、担任の先生も賛成してくれた。地元中学は不登校やいじめの多いことで知られているようなところだったので、末っ子のように周囲に馴染めないタイプの子は出来ることなら避けたほうがいいというご意見だった。それについては私も同意見だったので、ありがたく拝聴した。
ギフテッドは、いわゆる秀才や、「よく出来る子」とは、全く違うものだと思う。
むしろ学校のような集団生活では、末っ子のように、うまくいかない問題を複数抱えて困り果てて、周囲に魯鈍な子どもだと思われている場合も少なくないと思われる。
幸いにして、受験で進学した中学も高校も発達障害やギフテッド教育的なことに理解のあるところだったことと、末っ子と似たり寄ったりの「変わり者」でない生徒のほうが少ないような環境だったため、末っ子は不登校になることもなく、話の合う友人たちにも恵まれ、成績は、好きな教科以外はそれほど振るわなかったものの、のびのびと学校生活を楽しむことができたようだ。
ちなみに、末っ子にとって嫌なことの多かったと思われる小学校の記憶は、脳内でデリートされつつあるらしい。
文科省のテコ入れで、ギフテッドの子どもたちへの対応がどこまで改善されるかは分からないけれども、現場の先生がたの理解が進んでくれば、誤解されて苦しむ子は減るかもしれない。そうであってほしいと願う。