こんにちは。
大変暑い。
エアコンがあまり効かないので、扇風機でしのいでいる。かれこれ34年も前に大学生協で買った骨董品だけど、元気に回っている。
ラノベや漫画をドカ読みできるようになってきたので、それ以外の本もイケるんじゃないかと思って試してみたら、普通に読めた。
試しに読んだのは、「クリプキ ことばは意味をもてるか」(飯田隆 著)。いまKindle unlimited(読み放題)で読むことができる。
ことばは意味をもてるのか。
私があることばの意味だと思っているものが、本当にそのことばの意味であることを証明することも、そうではないことを証明することも、実は不可能であるとしたら。
多少なりともことばの研究を齧ったことのある人間にしてみれは、「だから何?」で終わらせるか、目視界に入らないほどの高所にある棚に上げておきたい話である。
でもそれは、ことばの意味について考えようとするとき、ちらりと脳をよぎる、薄気味悪い影でもある。
ことばが意味をもてるかどうかとは無関係に、ことばは運用されている。地球上から空気がなくなったら人類は滅びるだろうけど、全人類の脳から言語野が消滅してことばの運用ができなくなっても、いまの人類は根こそぎ滅びるだろう。
ことばの意味とは何であるかを解き明かすなら、人の脳にとってことばは何であるのかを明らかにすべきであり、脳の仕組みをメインにして考える場合、ことばの意味なるものは、ことばで考えて語るものとは別物になるのじゃないかと、三十数年間前の私は考えて、ことばの研究は自分などには到底無理だと判断した。脳からのアプローチは、ことばの意味をめぐる哲学方面のパラドックスや懐疑的な議論を大気圏外あたりまで棚上げできるんじゃないかと、この本を読んでちらっと思ったけど、ウィトゲンシュタインとかクリプキみたいな人たちの手にかかるとそういう実学がらみの研究の意味すら論理的に無効化しそうな気がするので、やっぱり私は哲学は苦手だ。わかんないし。
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今日は末っ子の高校の三者面談だった。我が家はzoomで申し込んでいたので、亭主が書斎のパソコンから、末っ子は自室でiPhoneから参戦。私はあとから話を聞いた。
担任の先生によると、末っ子が志望する大学はどこも「とーーーーっても難しい」ので、合格するためには、「ものすごーーーーーーーーーく頑張らないといけない」とのことだった。
かれこれ六年ほどのお付き合いになる塾の先生との三者面談では、「焦らなくても十分まにあう」と言われたけど、まだ出会って三カ月ほどの学校の先生にはそうは見えないのだろう。
末っ子の志望先は、亭主の現在の勤務先だったり、亭主の過去の勤務先だったりする。その亭主の意見は「まあ、もうちょっと頑張れ」だ。
私の見立てでは、たぶん間に合うだろうと思っている。でも絶対的に勉強量が足りない。末っ子は私に似て、気が向かないことや興味のないことは全く頑張れない人なので、試験勉強などは最小限の努力で平均点を獲得している。もったいないと思うけれども、人よりもいい成績を取ることにあまり興味がないらしいので、仕方がない。
なので、この夏休みはちょっとばかり勉強に付き合うことにした。
国語や日本史の問題をLINEに貼り付けて、一問正解するごとに100円。大盤振る舞いである。私もいろいろ読んで楽しむつもりだ。
明日は末っ子のリクエストで、車で大きな本屋さんに出かけて、問題集を買う約束をした。就職活動中の長女さんも一緒に出かけられそうなので、ひさびさにカフェにでも寄ろうかと話している。楽しみだ。今夜は早く寝ないと。