ベッド脇にあった本。
木田元「一日一文 英知のことば」岩波文庫
昨日の日付のページを開いてみたら、レヴィ=ストロースのことばがあったので、書き写してみた。
11月28日
生にとって掛け替えのない解脱の機会、それは……われわれの種がその蜜蜂の勤労を中断することに耐える僅かの間隙に、われわれの種がかつてあり、引き続きあるものの本質を思考の此岸、社会の彼岸に捉えることに存している。
われわれの作り出したあらゆるものよりも美しい一片の鉱物に見入りながら。
百合の花の奥に匂う、われわれの書物よりもさらに学殖豊かな香りのうちに。
あるいはまた、ふと心が通い合って、折折一匹の猫とのあいだにも交わすことがある、忍耐と、静穏と、互いの赦しの重い瞬きのうちに。
レヴィ=ストロース「悲しき熱帯」(下)川田順造訳、中央公論社
文化人類学者のレヴィ=ストロースの著作である「悲しき熱帯」は、亭主が学生時代に買ったものが家にあるはずだけど、私はまともに読んだことがない。
ただ、うちにあるのは「悲しき南回帰線」というタイトルだったような気がする。上に引用したのは中央公論社版だけど、講談社から出たものは邦題を「南回帰線」としたらしい。
大学院の入試の英語の問題が、この本の冒頭あたりからの出題だったので、亭主に借りてナナメ読みしたことがあった私は、日本語訳の設問でだいぶラクが出来たのを覚えている。
なにしろ上に引用したような、もったりと重い襞のある文章なので、多少なりとも読み齧った知識でもなければ、とても歯がたたなかっただろうと思う。
…などという話を晩ごはんのときにしていたら、亭主が「うちに中央公論社版と講談社版が両方あるはず」と言った。「あんな辛気臭い話の何が面白いんや」とも。
上に引用した短い文章も、たしかに暗い感じではある。
「蜜蜂の勤労」を中断して「社会の彼岸」にあるらしい、美しい本質を捉えることが、「生」の解脱の機会であるという。
厭世の気配をたっぷり含んでいて、確かに辛気臭い感じではある。
文化人類学って、世界各地の様々な民族の「蜜蜂の勤労」的なものを観察して記述するところから始まる学問だと思っているのだけど、レヴィ=ストロースにとっては、それはワクワクしない仕事だったんだろうか。
ブラジルへと渡るまでの経緯や、ブラジルでの現地調査などのさまざまな体験、さらに後述の亡命を経て第二次大戦後フランスに帰国する頃までの体験のいくつかが、著書『悲しき熱帯』(1955年)のなかで印象的に回想されている。
(Wikipediaからの引用)
どうやら生きた時代と置かれた状況が過酷で辛気臭かったようだ。
ユダヤ人であるレヴィ=ストロースはフランスで応召して従軍したものの、フランスの敗戦後、ナチスの迫害を逃れるためにアメリカに亡命したのだという。そりゃ辛気臭くもなるだろう。亡命した船にはシュールレアリズム詩人のアンドレ・ブルトンも乗っていたのだとか。
亭主の書斎にはブルトンの本もあったような。読んだのかな。今度感想を聞いてみよう。