NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第45回「八幡宮の階段」を視聴した。
最初から最後まで、ひたすら心の冷える回だった。
「吾妻鏡」によると、実朝が公暁に殺された建保7年(1219)1月27日は、夜になって2尺(66cmぐらい)もの雪が降ったというから、気温は相当に低かったのだろう。
だけど、映像のなかの人々と視聴者を凍えさせたのは、雪でも寒波でもないと思う。
義時(小栗旬)と間違えられて切られた源仲章(生田斗真)が、ファルセットで絶叫したあと、
「寒いんだよおおおおお!」
と喚いていたけれど、あれはなんだか、知らないうちに宇宙空間に放り出されて、死ぬしかないことに気づく直前に絶対零度を体感しちゃった人みたいだった。
仲章にしてみれば、頼家暗殺という、義時の後ろ暗い秘密を握っだけでなく、義時の放った刺客まで確保した以上、もはや鎌倉に怖いものはないくらいの気持ちだったのだろうから、大雪の中で我が家の春の到来を思い描いていたかもしれない。
どうも鎌倉という土地には、個人的な出世欲のために陰謀を働く者たちを、きっちり間引いて駆逐するような、凍てついた呪いがかかっているようにも思えてくる。
実朝を排除して平賀朝政を鎌倉殿に据えようとした時政と、りく。
彼らと違って、義時には個人的な出世欲が見当たらない。むしろ自分の感情を封殺して、北条を鎌倉の頂点に押し上げようとしている。
自分を脅かす可能性のあるものは、身内であろうと容赦なく殺していった頼朝の非情さと、鎌倉の秩序を乱そうとするものを讒言を弄してでも葬ろうとした梶原景時の冷徹さを、ドラマの義時はそのまま受け継いでいるかのようだ。
ドラマの終盤に近づくにつれて、義時の顔の雰囲気が、なんだかロシアのプーチン大統領みたいになってきた気がする。
国というシステムの維持が生きる意味と同一化してしまった独裁者の表情が、ああいうものだからだろうか。演技者や演出家も、そのあたりを狙っているのかな、とも思う。
そんな義時と比べると、自分の栄達のためだけに権力を望む源仲章は、心底いけすかないけれども、ものすごく人間らしく見える。
人間らしい体温を持つ人だからこそ、仲章は、生きながら身を凍らせる死地にはまり込んでいたことに驚愕し、絶望して叫んだのじゃなかろうか。
そう思うと、ちょっと気の毒になる。
でもやっぱり、いけすかないけど。
あそこで公暁に切られたのが義時だったなら、どうだったろうか。
既に人生にぬくもりなど期待していなさそうな義時のことだから、寒いと感じることすら、いまさらだと自嘲しつつ、あっさり諦めて逝ったかもしれない。
図らずも生き残った義時は、生還を喜んでくれた大江広元に、「どうやら私には、まだやらねばならぬことがあるようだ」と話していた。
次の鎌倉殿を誰にするか。朝廷との駆け引きはどうするのか。確実に敵対してくる後鳥羽上皇と、どう戦うのか。
最期の時まで残すところ四年になってしまったけれども、義時にしか出来ない仕事は、確かにまだ山積みだ。
(_ _).。o○
実朝は、辞世の歌のようなものを自室に書き残していたという。
庭の梅を覧みて、禁忌の和歌を詠じたまふ
出でていなば主なき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな
(吾妻鏡)
この歌は「吾妻鏡」に掲載されているとのことだけど、手元にある角川ソフィア文庫版「吾妻鏡」では省かれているので、「千人万首」というサイトから引用させてもらった。
この歌は、菅原道真が配流先で読んだ次の歌から派生したものだと言われている。
流され侍りける時、家の梅の花を見侍りて
こちふかば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春をわするな
(拾遺和歌集)
右大臣になったばかりの実朝が、失脚して太宰府に流された人の歌を本歌としたのはなぜなのか。
死を予感したというのは、いかにも話が出来過ぎな気がする。
けれども、人は死期が近づくと、たとえそれが不慮の死であっても、わけもなく深い寂寥感に囚われることがあるそうだから、実朝にも何かしら感じるものがあったのかもしれない。
ドラマの実朝は、仲章を切った公暁と向き合い、一旦は短刀を手にしたものの、鞘から抜く事もなく手離し、公暁の思いを全て受け入れるかのように微笑んで見せ、そのまま切られて死んでいった。悲しい最期だけれども、穏やかに死を受け入れている分だけ、頼家の時ほどの無残さは感じなかった。
ただ、あの場面には少し不自然なものを感じないでもなかった。
階段で公暁が襲ってきた時に、実朝の周りにいた人々が誰も実朝を守って戦おうとせず、公暁を捕縛しようともしていないのは、なぜなのか。
源仲章が義時に成り代わって太刀持ちをしていたくらいだから、他にも御家人が随行していそうなものなのに。皆揃って暗黙の了解で実朝を見殺しにしたのだろうかと、疑いたくなる。
それに、あの場で即座に追っ手をかけられた公暁が、三浦館まで無事に逃げ伸びているのも不思議な気がする。夜闇に紛れて、ということなんだろうか。
もっとも、鶴岡八幡宮の階段で実朝や随行の人々が履いていた靴は、束帯着用時に履く「浅沓」、もしくは「靴の沓(かのくつ)」というブーツだったようで(画面が暗くて見分けがつかなかったけど、NHKの公式サイトのフォトギャラリーを見たら、どうやら浅沓のようだった)、普段履き慣れていない御家人たちにとっては、雪の上では動きにくかったかもしれないけれども。
(_ _).。o○
実朝と公暁、我が子と孫を同時に失った政子は、絶望のあまり自殺しようとしたところを、間一髪でトウに止められる。
トウは政子に、主の命令がなければ殺してはいけない、自ら死んでもいけないと、涙を流しながら言っていた。あれはトウのお師匠だった善児の教えだったんだろうか。
トウが政子の自死を止めた理由は分からない。
もしかしたら、義時に命じられて政子を見張っていたのかなとも思ったけれども、仲章の館から脱出した直後だったようだったし、義時とコンタクトを取る余裕はなかっただろう。
となると、実朝の死を伝え聞いたトウは、自分の意志で、政子の元に直行したことになる。
そういえば、実朝の兄である頼家を殺したのはトウだった。
義時に頼家暗殺を命じられ、善児と共に修禅寺に行ったトウは、善児が油断して殺し損ねた頼家にとどめを刺したあと、致命傷を負っていた善児を殺して、両親の仇討ちを果たしている。(第33話 修禅寺)
善児によって暗殺マシーンに育て上げられたトウだけれども、肉親への情愛を失ってはいなかっただろうから、自分が手にかけた頼家を含め、我が子を全て失ってしまった政子に対しては、何らかの思いを抱いていたのかもしれない。
善児もトウも、架空の人物だけれども、こんな人たちが居ても不思議じゃないようなリアリティを感じる。実際に似たような立場で、表沙汰に出来ない仕事を担いながら、歴史で語られることなく消えていった家人や下人は、きっと存在していただろう。
トウはこの後どうなるのだろう。
義時が死んでから、政子に仕えるのだろうか。
あれ…たしか、義時の後妻の伊賀方(のえ)は、夫の死後、謀反をおこしたらしいという理由で、政子によって伊豆に流されて、その後なぜかすぐに死んでいたような……。
「伊賀氏の変」というらしいのだけど、「吾妻鏡」には謀反について明記した記事がないらしく、泰時も謀反については否定していると、Wikipediaの「伊賀の方」の記事に書いてあった。
のえさん、何をやらかしたのか。
(_ _).。o○
ほとんど蛇足と化している歴メシネタコーナー。
実朝が暗殺されてしまう今回は、さすがに食べ物のシーンはないだろうと思って気を抜いていたら、しっかり出てきた。
公暁の、最期の晩餐。
確認できたのは、三品。
玄米ご飯の湯漬け。
青菜のおひたし。
何らかの動物性タンパク質っぽい切り身。
切り身っぽいものの正体の見当がつかない。
皿に二切れ乗っていて、片方は箸で崩したような感じで割れている。
割れ方や色合いが、焼き豚か、脂身の少ないチャーシューっぽい感じなので、イノシシか何かだろうか。魚には見えなかった。
僧侶だった公暁が、死の直前の食事に肉を出され、食べている最中に殺されるというのは、なんとも皮肉な終わり方だった。
(´・ω・`)