こんにちは。
ゆうべもなかなか寝付けなかった。
睡眠導入剤(ゾルピデム)は、1日半錠の処方で、もう何年も来ているのだけど、ちょっと足りなくなっているかもしれない。次の診察までに改善しなければ、主治医に相談しようと思う。
前の冬にも鬱を悪くして、抗うつ剤(ミルタザピン)を上限まで処方してもらい、その後ずっとその量のまま維持している。こちらはこれ以上増やせないから、症状が悪化すれば別の薬に切り替えることになるかもしれないけれども、ずっと副作用もなくて相性のいい薬なので、できればこのまま変えたくない。
なんとか鬱の沼にハマらずに、この冬を元気に乗り切るためにも、睡眠を改善したい。そのためにも、運動量を増やしたい。
というわけで、今日は午前中のうちに、がんばって、本屋さんの中をぐるぐる回って、3000歩を超えてみた。外を歩くのは好きじゃないのでストレスになるけど、ショッピングセンターなどの屋内なら立ち止まりやすいし、座るところも見つけやすい。
これを毎日続けられれば、たぶん冬を乗り越えられると思う。
問題は、家から外に出るときの、如何ともし難い敷居の高さだ。ひょいひょいと外出できるなら、うつ病などと診断されないだろうから、仕方がないんだけど、ここを突破しないとどうにもならない。
うちの中で歩くという方法もあるし、以前はやっていたけれども、それをやるとおそろしく気が滅入るようになったので、やめている。
うーん……
外に出るためのエサが、あるといいのだけど。
(_ _).。o○
快晴の日曜日。
朝はチーズトーストを食べて、末っ子と2人で教会の日曜学校へ。
今日は新約聖書の「テサロニケ人への第一の手紙」の最後の章を教えていただいた。
だれも悪をもって悪に報いないように心がけ、お互に、またみんなに対して、いつも善を追い求めなさい。
いつも喜んでいなさい。
(テサロニケ人への第一の手紙 5章15-16節)
「いつも喜んでいなさい」というフレーズは、教会に通い始めて2年目くらいに教えてもらって、強く印象に残っている。
「喜び」というのは、願いが叶うなどして満たされた時に起きるものだろうから、基本、一時的な感情だと思う。
だから、「いつも喜んでいなさい」という教えは、「いつも満たされた状態であることを実感しなさい」ということにもつながるわけで、どんなに不遇な状況であっても常に神様の恵みをいただいているというような、信仰の裏打ちのない者には、とても困難な心のあり方だと思う。
ペテロの手紙を受け取ったマケドニアのテサロニケの人々は、おそらく厳しい迫害を受けていたはずで、普通に考えたら到底喜んでいられるような境遇ではなかったはずだ。
それでも彼らは喜んでいられたから、この手紙が残って、聖書に収録されたのだろう。
信仰に依らない場合でも、とてつもない苦境を乗り越えられる人たちは、たぶんそういう時の喜びの方法を持っているのじゃないかと思う.
さっき、たまたま朝刊(朝日)の一面を見ていたら、「折々のことば」に、まさにそんな事例が引かれていた。
行きつ戻りつして、徐々に変化が生まれれば儲けものなのだと思う。
母の認知症、兄が残した借金、ゴミ屋敷の始末、夫の癌、ネットの炎上、自殺未遂と、「悪いこと」しか起こらないような日々が映画ライターを蝕む。でも、行き着くところまで行ってしまうと、回復への途は遠くとも些細な出来事が時に輝いて見えるようになったという。うろうろしても「平均的なバランスがわずかにでも前進すればそれでいい」と。『心の壊し方日記』から。
(2022年11月6日)
途轍もなく大変そうだ。
けれども「些細な出来事が時に輝いて見える」喜びは、少しずつ前進するときの大きな支えになると思う。
冒頭は、「心の壊し方日記」という著書からの引用だという。Amazonで見てみたら、帯に、
「サブカルと家族と鬱」
と書いてあった。この三つの取り合わせを見て即座に機能不全家庭の話だなと思う人は、たぶん私の世代に多いはずだ。なにしろたくさんいたから。
ネット炎上はTwitterで起きたようで、残滓を見かけたけれど、なんかものすごく頭の健康に良くなさそうなので、追いかけないことにした。
読んでみようか、どうしようか。
(_ _).。o○
この日記を入れて、記事数は1917本になる。
いまのペースだと、年内2000本到達は厳しい。
今日はブログをあと一回は更新したいけど、できるかな。