湯飲みの横に防水機能のない日記

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「鎌倉殿の13人」(24)変わらぬ人

「鎌倉殿の13人」第24回「変わらぬ人」を視聴した。


蒲殿こと源範頼(迫田孝也)が、曽我兄弟の仇討に乗じて鎌倉殿に成り代わろうとした罪で、修善寺に幽閉される。

 

それが冤罪だったのかどうかは、後の時代の人間には分からないけれども、うかつだったことだけは間違いない。

 

ドラマのなかでは、範頼を焚きつけた比企能員(佐藤二朗)が、範頼を切り捨ててばっくれることを決意しながら「蒲殿すまん!」と謝っていた。

 

東武者のほとんどは、出世のために陰謀を巡らして他人を陥れても、心の底から悪人ではないようで、そのことが、かえってドラマを見ている側の悲しみを増すように思う。

 

このドラマは、比企一族の滅亡をどう描くのだろう。

 

曽我兄弟の仇討(富士の巻狩り)は1193年(建久4年)で、比企能員の変は1203年(建仁3年)だという。

 

義時は、比企一族の娘である比奈(堀田真由)の思いにほだされて、後添えに迎えるようだけれども、Wikipediaで「正室 姫の前」とされている彼女とは、比企一族の乱ののちに離縁することになるようだ。

 

再婚して10年で離縁。

義時、家庭運がなさすぎる。(T_T)


( _ _ ).。o○


頼朝の長女大姫(南沙良)は、木曽義高の死から少しづつ立ち直ってきたものの、死の世界に引き寄せられる性分は、最後まで変わることがなかったようだ。


義高の面影が薄れていくことに不安を感じている大姫fは、かつて木曽義仲に仕えていた巴御前に会うために、和田義盛の館を訪ねる。

 

義高の思い出話をせがむ大姫に、巴(秋元才加)は、「人は変わるのです」ときっぱり言い切って、和田義盛を尻に敷いて幸せに暮らす第二の人生を肯定して見せ、大姫を元気づける。

 

けれども、一時的に前向きになった大姫の心は、都で丹後の局のパワハラ猛攻を受けて、ポッキリと折れてしまった。

 

この、登場人物の死に際直前に、希望を見せて持ち上げてから、結局絶望に落とすという成り行きは、三谷幸喜氏の大河ドラマでは、どうもよく見かけるような気がしてならない。

 

新選組!! 土方歳三 最期の一日」でも、土方歳三榎本武揚は、サンドイッチを食べながら意気投合して未来を描き、共に北海道で大牧場を作りそうな勢いだったのに、史実通りに土方歳三は死んでしまった。そうなるとわかっていても、あれは切なかった。

 

単に切なさを盛り上げるための演出なのだとしたら、性格が悪すぎるような気がする。(´・ω・`)

 

でも考えようによっては、登場人物たちの死の直前に与えられる儚い希望は、歴史に沿って物語が進んでいく大河ドラマのなかで、必ず消えていくしかない人物たちへの、脚本家の愛であるのかもしれない、とも思う。

 

大姫も源範頼も「鎌倉殿の13人」というドラマのなかでも、歴史の流れのなかでも、主役とは言えない立ち位置であるけれども、ドラマの中で終焉を迎える直前の彼らに与えられたつかのまの希望や喜びは、そのあと失われていく彼らの命と人生が、歴史上の重要性とは無関係に十分に重いものであったことを否応なしに伝えてよこす。

 

失われることが切ない、かけがえのない登場人物なのだと、鑑賞者に思わせるのだから、やはりこれは脚本家の意地悪ではなく、キャラへの愛なのだろう。

 

大姫が亡くなったのは、建久8年(1197年)7月だとドラマのナレーションが語っていた。富士の巻狩り(曽我の仇討)の4年後ということになる。

 

Wikipediaでは、源範頼の死亡は、

 

建久4年8月17日(1193年9月14日)?

 

と、「?」つきで富士の巻狩りと同年としている。どうも正確には分かっていないようだ。

 

ドラマでは、大姫の死は自分を恨むものの呪いのせいだと思い込んだ頼朝が、範頼の誅殺を梶原景時に命じていた。

 

豊臣秀吉のように、為政者が晩年に常軌を逸した独裁者と化していくことを、うちの末っ子は「プーチン味(み)が増す」という。頼朝もここへきてだいぶプーチン味が増してきている。退場回も、そう遠くなさそうだ。

 

修善寺に送られた範頼は、立派なナスを収穫して農民たちと喜びあった直後に、景時の下人の善児によって、さくっと刺殺されてしまった。

 

善児はドラマの中だけの架空の人物のようだけれども、彼の存在は恐ろしく重い。

 

物語序盤では、伊東祐親の下人として、頼朝と八重さんの長男千鶴丸を殺害。

頼朝挙兵後には、義時の兄宗時と工藤茂光を殺害。

それから、八重さんの夫だった江間次郎を殺害。

その後、元の主の伊東祐親と、その息子の伊東祐清を殺害。

静御前の息子も殺していたような…。

義時と一緒に奥州に下ったときは、藤原泰衡の弟をさっくり殺っていた。

そして、今回の範頼暗殺。

 

殺すことに躊躇がなく、表情もない。

物のように人を見ていて、情らしいものが感じられない。

 

その善児が、範頼殺害を目撃していた農民の娘を殺そうとして構えた刀を、娘に刺さずに下していた。あのあと、善児は娘をどうしたのだろう。

 

そういえば、大姫が亡くなる1年前の建久7年(1196年)には、頼朝が支援していた九条兼実(ココリコの田中直樹)が失脚し、関白を罷免されているのだけど、ドラマでは触れられなかった。北条氏と坂東武者たちの物語には特に必要のない出来事だからかもしれない。

 

( _ _ ).。o○


恒例の歴メシ蛇足。


義時と三浦義村が、江間の館(だと思う)で昼間っからお酒を飲んでいる。

折敷は白木ではなく塗り物。義時の暮らしは、父親と伊豆の館で同居していた若いころに比べると、だいぶ裕福になっているように見える。

 

皿につまみがのせてあるのだけど、中身がよく見えない。義時は指でつまんで口に運んで噛んでいる。ナッツのような固いものをぽりぽりしているというよりも、弾力のあるものをしっかり噛んでいるようにも見える。

 

公式ホームページのフォトギャラリーに、ちょうどこの場面の写真があったので、拡大してみたら、ビーフジャーキーっぽい赤い肉(?)と、ホタテの貝柱の干物っぽい、ちょっと歪んだ円筒形のものが盛り付けられていた。

 

www.nhk.or.jp




ホタテは縄文時代貝塚からたくさん出てくる貝で、江戸時代には中国に「俵物」としてたくさん輸出されていたという。生で輸出できるわけがないから、干物だったのだろう。

 

 

 


干し肉っぽい赤いものは、獣の肉にしては色味が赤すぎる。もしかして、「鮭とば」かしらとも思う。

 

 

ホタテの干物も、鮭とばも、私はまだ食べたことがない。

 

ちょっとこれから買いにいってみようかと思う。