湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

ねこたま日記…(新札と旧札)

こんにちは。

 

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お札のデザインが変わるらしいと、昨日知った。

 

世の中の流れに疎くなっているので、ちっとも知らなかった。

 

昨年コロナに感染して以来、ネガティブな情報に触れると体調ががっくり落ちるようになった。前からその傾向は少しあったけど、コロナの後遺症で体力をごっそり削られたせいで、酷くなったらしい。それで時事的な記事やニュースはできるだけ避けて目に入れないようにしていた。

 

でもお札のデザインの変更はとくにネガティブな情報じゃないから、流れてきた記事をいくつか拾って読んでみた。

 

新札のデザインは、ネット上ではあまり評判が良くないらしい。

 

でも「どうせそのうち慣れる」とも言われているようだ。たぶん一万札が「聖徳太子」と呼ばれてあがめられてた頃を知る人々の意見だろう。私もその一人だ。

 

 

「諭吉」=「万札」に慣れるまでの違和感は確かに凄かった。

 

けれども「五百円札」が「五百円玉」と併用されるようになり、そのうち札が消えてしまったときの喪失感よりは、いくらかマシだったように思う。

 

それは、金欠気味だった若者にとって、学食でちょっと豪華なドリアセットを食べてウキウキすることのできる「五百円」の価値が、「小銭」レベルに成り下がったことを意味するからだ。

 

当時の地方都市でのバイトの時給は、ほとんどが500〜600円ほどだったと記憶している。1時間の労働の対価が数個の硬貨というのは、学生の身としては遣る瀬無いものである。もっとも私はそれよりずっと割高な家庭教師や予備校の講師ばかりやっていて、そのおかげで500円のドリアセットの敷居がだいぶ低かったのだけれど、そうでなければ一食で時給が吹っ飛ぶメニューなど、給料日でも選ばなかっただろう。

 

話がそれた。

 

新札の画像を見た瞬間に思ったのは、なんだかチープな感じだなということだった。本物と画像とでは質感や色合いなども違っているのだろうけど、子ども銀行や人生ゲームのお札みたいで、ありがたみが薄く思われる。

 

でもきっと、使い始めたら慣れてしまうのだろう。

 

 

そういえば、子どもの頃には百円札なんてものもあった。手に取った記憶はほとんどなく、デザインも覚えていないのだけも、10円玉みたいな色だったような印象がある。画像検索で確認したら、その通りだった。

 

百円札が板垣退助

500円札岩倉具視

千円札は伊藤博文

 

……あれ?

昔の五千円札って、誰だっけ?

 

調べてみたら、かつての一万円札と同じ聖徳太子だった。

 

うーん、百円札より印象が薄い。

というか、全く記憶にない。使ったことはあるはずなのに。

 

 

そのうち「昭和」のおさらいでもしておいたほうがいいかもしれない。あまりいろんなことを忘れっぱなしにしていると、ボケが早まりそうな気もする。思い出すという作業も、脳を活性化するのだろうから。