こんにちは。
日録は後回しにして先に健康メモその他を書いておく。(でないと書き忘れる)
健康メモ
この二日ほど、片頭痛が軽く済んでいる。痛みはあるけど、気にしなければ気にならない程度。
そのかわり、痛みが長時間続くようになっている。朝起きたときから、夜までずっと。ちょっと動悸が強くなると、痛みもそれに合わせて増す感じだけれど、冷やしたり薬を飲んだりしたいほどの激痛ではない。
コロナの後遺症かもしれないけれど、それよりも、運動不足でうっ血しているせいのような気がしなくもない。背中から肩、首筋にかけて、凝りがひどくなっているように感じる。
というわけで、やはり運動したい。動きたい。
昨日だったか、COVID19の間質性肺炎で、肺全体が白くなるほどの重症だったため三か月も入院した七十代の男性医師が、退院後しっかりリハビリをして、趣味のスポーツなどもやって、後遺症を寄せ付けなかった、という記事を読んだ。お仕事にも復帰しているそうだ。
その男性医師と私とでは、身体の状況が違っているだろうから、おなじようにバリバリに運動して改善するかどうかはわからない。でも、現状のように、終日ほとんど横になっているのは、どう考えても体にいいとは思えない。
外歩きをしたいけれども、先日のように歩いている途中で具合が悪くなると、家に帰りつくまで無理をすることになる。
ネットで少し調べたら、間質性肺炎のリハビリとして、6分間ほどのウォーキングをしている事例があった。
6分なら、問題なく歩ける。
10分を超えると、どんなにしっかり呼吸をしていても、足のほうから重くなってきて、沈没する。
外歩きは、往復6分以内からはじめよう。
家のなかでは、ラジオ体操でもやってみようか。
というわけで、ラジオ体操、やってみた。
パイプオルガンの伴奏に合わせて、重厚に、無理せずに一回やった。
身体を回す運動のときなど、胸に少し痛みを感じる。
まだ肺の後遺症はあるのだなと、実感。
飛び跳ねるところは咳が出たので、半分カット。
だいぶ運動を中抜きしたにも関わらず、終わったときの動悸がものすごい。
それにあわせて頭痛も悪化。
でも、とても気分がいい。
深呼吸もしっかりやった。
1日2回くらい、無理せず中抜きでやることにしよう。
読書
昨日、kindle unlimited(読み放題)で見つけて読み始めた「辺境の老騎士」(支援BIS 著)という小説が、すごく面白かった。
ラノベのくくりになるのかもしれないけど、がっつり書き込まれた情景や人物の描写は決してライトではなく、挟み込まれているイラストも、いわゆるラノベ的なものではない。
内容は、全くラノベ的ではない。
読んでいて、ずっと昔に見た映画「アイバンホー」を思い出した。物語の設定も、中世ヨーロッパ風で、アイバンホーの世界に近い。
主君の治めるすべての領民と姫君に絶対の忠誠を誓う老騎士バルド・ローエンは、強大な戦力である自分の存在を他家に利用されることを避けるために、身分と財産のすべてを主君に返上し、愛馬だけを連れて、死に場所を求める旅に出る。
戦いに酷使したために足腰は痛み、無理のきかない体になっているものの、常軌を逸した戦闘力と戦いのセンスはそのままであるため、死を覚悟するような戦いに遭遇しても、相手を倒して生き延びてしまう。
そんな余生の旅の途中で、時おり戦いに巻き込まれながら、老騎士バルドはさまざまな人々と出会って、人と人とのつながりを結んでいくうちに、やがて主君を陥れ、姫君の人生を狂わせることになった、過去の陰謀の全容を知ることになり……
若い美男美女の華やいだ話は一切なく、ひたすら硬派で脳筋優位なお話なのだけれど、この老騎士バルドという人が、実に懐の深い堅物である上に、おいしい料理と酒に目がないという人であるため、読んでいてとても楽しくなる。
歩きすぎたあとの腰痛や、戦闘中に右肩が上がらなくなるという、紛うことなき五十肩症状など、リアルに共感できてしまう身体描写がとても多くて、うれしいような残念なような複雑な気分だけれど、考えてみれば老騎士バルド、私と同世代なのだった。
この作品、コミックにもなっているようだ。
表紙を見た限りでは、バルドさん、だいぶイケメンに描かれている。
忠誠を誓った姫君は亡くなってしまったけれど、恋仲ではなかった。
独身のまま、むさくるしい騎士仲間やライバルたちと、食べ歩きの旅を続けるのだろうか。続き読んでみよう。
1月28日(木)の朝
前日寝坊して朝ごはんが抜けてしまったのを深く反省して、しっかり食べた。
朝ごはん。
目玉焼きに水菜を散らして、バター乗っけたしいたけと一緒に焼いた。自作、目玉焼きのふちをちょっと焦がした。
大根と鶏肉のスープは、亭主作。末っ子がスープジャーにいれてお弁当に持っていったはず。
末っ子のお弁当をスープジャーにしたのは、一昨年くらいからだったか。スープの本を買って、いろいろ試しながら作っていたけど、いまでは亭主がそれを引き継いで全部作れるようになっている。
朝から大きな鍋で作るスープは、末っ子のお弁当に取り分けたほかは、他の家族の朝ごはんになる。
だだし、息子のお気に入りのスープの日は、どんなにたくさん作っても、遅く起きてくる家族の分は残らない。
午前中は、怠いのと脳疲労でつらかったので、ほとんど何もせずにおとなしく横になっていた。
1月28日(木)の昼
お昼ごはん。
天ぷら蕎麦。亭主作。
スーパーのかき揚げを乗っけてくれた。
少なめにしてもらって、完食。美味しかった。
午後も脳疲労が続いた。
横になっていると、ふっと具合がよくなる時間帯があって、なんでも出来そうな気がしてくるものの、実際に起き上がって動くと、やっぱり動悸と疲労感でヨレヨレになる。なかなか打開の糸口が見えないのがつらい。
1月28日(木)の夜
晩ご飯。
きりたんぽ鍋。デザートにはバナナヨーグルト。亭主作。
スーパーで、芹がとても安かったそうで、たっぷり入っていた。芹は大好きなので、とても嬉しい。
早めに寝ようと思ったけれど、なかなか寝付けず、結局一時くらいまで起きていたと思う。
1月29日(金)の朝
朝ごはん。
牛肉とトマトのスープ、カニパン、野菜ジュース。
カニパンなんて食べるのは、何年振りだろう。
食後、具合が悪くなったので、しばらく横になった。
身体が少し楽になったところを見計らって、パソコンを立ち上げて、YouTubeでラジオ体操の動画探し、体操を決行。
1月29日(金)の昼
お昼ごはん。
ベーコンと水菜のパスタ。亭主作。
みかん一個。
「辺境の老騎士」を読んでいて、騎士という身分に興味がわいたのだけど、歴史音痴だから、ヨーロッパの中世史なんか壊滅的になにもしらない。
パスタ食べながら、亭主に、中世ヨーロッパで「騎士」と呼ばれた人たちの立ち位置など、少し聞いてみた。
それから、洋の東西を問わず、中世あたりに封建制度が定着する理由とか、それが近代直前に破綻する理由とか、黒船が来ても来なくても幕藩体制は結局オワコンだったんじゃないかとか、いろいろ話した。
時代の大きな変わり目というのは、歴史年表でははっきり線が引いてあったりして分かりやすいけど、そういう線引きというのは後付けのものだ。実際にその時代に生きている一般人の立場では、それほど鮮烈に「いま時代が変わった」と感じるものじゃないような気がする。
このあいだ、調剤薬局で薬が出来るのを待っていたとき、たまたまテレビの前に座っていたら、ロシアのプーチン大統領(本人は否定してるらしい)が秘密裏に建築した「宮殿」の情報を命がけでつかみ、豪奢な内部構造をCGで再現したという人を紹介するニュースが流れていた。
「プーチン宮殿」、本人は否定 反体制派、31日に再びデモ:時事ドットコム
CG再現されたプーチン大統領の「宮殿」は、比喩でもなんでもなく、ベルサイユとかと同じ種類の「宮殿」だった。
共産主義とか社会主義とかって、「宮殿」を建てるような思想だったっけ。
アメリカの大統領も人によっては大概だと思うけど、トランプさんでも、ああいうガチの「宮殿」は建てないような気がする。でもハーレムを併設してるような「宮殿」なら作りそうな気がする。知らないけど。
それはともかく、数百年後の歴史年表では、ちょうどいまのあたりに時代区分の縦線を引かれているような気がする。かつて封建制度が破綻して別の形になっていったように、現行のシステムもじわじわと変容して見知らぬものになっていきつつあるのだろうか。
私が知っている50年前と今とでは、ほんとうにいろんなことが変わってしまった。なのに、ずっと「同じ時代」で暮らしているとも感じている。いまの時代を、後世の人々は何と呼ぶのだろう。