こんばんは。
1月15日(金)午前中
今日は精神科外来を受診したのだけど、もっぱらコロナ後遺症の話で終始した。
退院後からの状況を詳しく話すと、主治医はとても心配してくれて、後遺症の専門外来のある病院を教えてくれたのだけど、片道2時間近くかかる場所だった。徒歩10分の最寄駅にすら、たどり着けそうにないのに、電車をいくつも乗り換えるなんて、無理すぎる。
もう少しすれば、後遺症を診てくれる病院も、少しずつ増えてくることだろう。大人の発達障害外来だって、何年か前までは、近隣にはほとんどなかったのだから。
診察を終えて会計を待っているあいだ、急に気持ちが悪くなって、顔や背中に変な汗が吹き出してきた。会計が終わっても、すぐには歩けそうになかったので、しばらく座って休んでから病院を出た。
病院から徒歩数分のショッピングモールまでなんとか歩き、なかにある薬局で処方箋を出すと、少し時間がかかると言われた。
薬局内は人の出入りが多いので、閑散とした場所を探して座っていようと思ったけど、モール内の通路のベンチはどこも埋まっていた。
逆に、以前はいつも満席だったスタバがガラ空きだったので、入って軽く飲食した。
よれよれの状態で注文したので、商品名を覚えていない。カフェラテと、ベーコンとチーズのサンドイッチだろうか。美味しかったのだけは記憶している。
座って食べて休んだら、元気が出た。
処方薬を受け取って、タクシーで帰宅。
ハーフサイズのとろろ蕎麦を亭主に作ってもらって、食べた。
1月15日(金)午後
やはり長時間の外出はキツい。
咳もひどくなって、ひさびさに、寝返りするのも億劫なほどの疲労を感じた。
ありがたいことに、頭痛の復活はなかった。
晩ご飯。
ナスのカレー、コーンスープ、サラダ。亭主作。
コーンスープは、インスタントのものに豆乳と青菜を入れてアレンジしたとのこと。
美味しかった。
「#感染したから伝えたい」けど感染しなきゃ伝わらない
ツイッターのトレンドに、「#感染したから伝えたい」というタグがあった。
タグに寄せてつぶやかれる感染体験のなかには、私のような後遺症に苦しんでいる人のツイートが、いくつもあった。
少しでも注意喚起につながるならと思って、ほとんど放置状態だった読書用のアカウントで、感染体験を少しつぶやいておいた。
そういうタグでも、感染したと発言する方々を嘘つきであると断じるユーザーがいる。心無いことだと感じるけれども、その人たちの周囲には、COVID19で苦しむ人が、きっと一人もいないのだろう。
実際私も、コロナで入院した知り合いは、私以外に一人も知らない。つまり、私の界隈では、私はレアな存在なのだ。
感染した人が31万人いても、入院する人はそれよりずっと少ない。亡くなる人はもっと少ない。日本の人口全体から見れば、ものすごくレアなのだ。
COVID19の深刻さがどれだけ報道されていても、それを生活圏内で目の当たりにする機会がなければ、リアリティなど持ちようもないのだろうし、リアリティの持てない緊急事態のせいで生活が圧迫されれば、COVID19の存在そのものを否定したくなる人も出てくるのだろう。
同じ国に住んでいても、見ている現実が違えば、何を真実と思うかも違ってくる。
仕方がないことなんだろうか。(´・ω・`)
感染症が社会を分断するのは、今に始まったことじゃない。旧約聖書にだって出てくる話だ。
そういう、今に始まったことじゃない人類の課題って、どうやったら片付くんだろう。
うん、もう寝よう。
(_ _).。o○