朝
七時過ぎに起床。
覚醒とほぼ同時に、息子にCPAPのスイッチを切られ、「めがね!」と言われた。
息子にとって、メガネをかけていない私は、完全体ではないらしい。
朝ごはん。
亭主作。プチトマトがみずみずしくて、身体に沁みた。
シラバス冬の陣
亭主が来年度のシラバス(大学の講義の内容などの計画書)について、ボヤいていた。
なんでも、文部科学省からの指示で、今年度から「実務経験」があるかどうかを、シラバスに明記しなくてはならないのだという。ちなみに専門分野の研究や大学での職務は、「実務経験」とはみなされないらしい。
なんだそりゃ。(´・ω・`)
研究者にとっての「実務経験」って、一体なんなんだろう。
医学者だったら病院の診療経験がそれにあたるのだろうし、法律学者だったら、弁護士などの職歴が実務経験なるのだろう。考古学なら発掘作業、教育学なら教師だろうか。
でも、文学者や哲学者にとっての「実務経験」って、よくわからない。
印度哲学や宗教学なら、神父や牧師、僧侶経験などが思い浮かぶけど、そういう職業での「実務経験」が、研究を深め、なおかつ教員としての資質を高めるのかというと、全く無効ではないにせよ、ちょっと筋が違うんじゃないかという気がする。
ギリシャ哲学なんかになると、そもそも「実務」のイメージが全く思い浮かばない。なにをすればいいんだろう。
文学も、全面的に厳しそうだ。
万葉集や源氏物語、太宰治や三島由紀夫の研究者にとっての「実務経験」って、国語の先生以外には想像もつかないし、実際に大学院時代に高校や予備校でバイトしていた人は多いはずだ。
でも、それって、専門分野の「実務経験」なんだろうか。
無理矢理なにかに喩えるとするなら、魚類のDNAとかフェロモンとかを研究する人が、魚市場で長年働いた経歴をもって「実務経験」としてシラバスに掲載するような違和感である。教員として、それはそれで面白い経歴だと思うけど、やっぱりなんか違うような気がする。
よくわからないので、文部科学省のホームページを読みに行ってみた。
高等教育段階の教育費負担軽減新制度
機関要件の確認への対応のポイント (2019.1月版)
一部引用。
「実務経験のある教員による授業科目」とは、担当する授業科目に関連した実務経験 を有している者が、その実務経験を十分に授業に活かしつつ、実践的教育を行っている 授業科目を指す。必ずしも実務経験のある教員が直接の担当でなくとも、例えば、オムニバス形式で多様な企業等から講師を招いて指導を行う場合や、学外でのインターンシップや実習等を授業の中心に位置付けているなど、主として実践的教育から構成され る授業科目でも可。
○ 全ての学部等が要件を満たすことが必要であるが、学問分野の特性等により満たすことができない学部等については、大学等が、やむを得ない理由や、実践的教育の充実に 向けた取組を説明・公表することで要件を満たすものとする。
「やむを得ない理由」を説明・公表している大学を探してみたけど、残念ながら見つけられなかった。
自分の母校の「文学部」のシラバスをチラ見してみたら、ちゃんと「実務経験のある教員による授業科目」の数を揃えてあった。
でも、ほとんどが「教育論」系で、古典文学や言語学、哲学での「実践的教育」を行う講義は存在しなかった。やっぱり、無理があるのだろう。
なんとなく、文部科学省のこの方針には、大学のアカデミックな性質をじりじり薄めていって、「生産性」寄りの人材育成の場にしようとする意図があるように思える。
アカデミズムと対立するのは、以前はジャーナリズムだったと思うのだけど、いまは、兵糧攻めを仕掛けてくる生産性至上主義に対して、アカデミズムが籠城戦を続けるしかない時代なのかもしれない。
大変だな。
ちなみに亭主は、言語研究者としての「実務経験」を堂々とシラバスに記載するそうだ。実際にそういう職歴の人なので、問題ないのだけど……
なんとなく、大阪冬の陣の真田丸を連想したのは、思い過ごしであると思いたい。(´・ω・`)