湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

【日常と読書】歩くことと投薬と蓮と刀

こんにちは。

 

まず、歩行の記録。

 

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まずまず。

無理なく歩けた。

 

いまの体調だと、1日4000歩を超えると、かえって調子が悪くなる。3000歩前後で、ちょうどいい。

 

水分補給は大事だけど、取りすぎると、あちこちむくんでしまって、苦しくなるように思う。歩くと喉が乾くので、つい飲みすぎてしまうから、注意が必要だ。

 

病人用の専属トレーナーが、本気で欲しい。(´・ω・`)

 

 

服薬記録

 

朝のお薬、飲んだ。

チラージン、コンサータ、ロトリガ、ポリプル。

 

と、書いておけば、飲み忘れや重複を防げる。

以前はツイッターでやっていたけど、あそこは年中荒れたつぶやきが流れてくるから、脳によくない。

 

やっぱり薬を飲んだらブログを更新するというのを、ルールにしたい。とくに、飲み忘れると非常にまずいチラージンがある、朝の分だけでも。

 

 

切れ端読書

 

 

朝食を食べながら、

 

橋本治「蓮と刀  どうして男は"男"をこわがるのか?」

 

の、第1章の、「本書の成立について」を読んだ。

 

この本、第1章がおかしい。

 

第一章  使用上の注意をよくお読みください

 

I    本書の成立について

II   本書の内容について

III  本書の文体について

Ⅳ  本書の読者について

Ⅴ   本書の題名について

 

 

この本が大変な毒物であるということを前提に、誰の責任で本が成立し、流通しちゃったのかということを明らかにしているのが、「I 本書の成立について」の趣旨のようだった。

 

本書は流布されていく、害毒を垂れ流して。そして、その害毒を垂れ流して行くことに対しての責任を問う声が上がった時、関係者たちは口を揃えて言うのである----「俺のせいじゃないもんねェ」と。

 

 

その責任回避のために、書かれたと。

 

この本を買ったのは、たぶんこの文庫版が出た昭和61年だと思う。その年の春に大学院に進学して気が抜けていて、おそらくは大学生協の書籍部あたりで平積みになっているのを手にとって、そのままレジに持っていったのだと思われる。

 

そして積んでおいたまま、38年経過した。

 

著者の橋本治氏は、昨年(だったはずだけど、時間感覚が怪しいから自信がない)亡くなってしまった。

 

亡くなったことを知ったのをきっかけに、これまた数十年積ん読状態だった「窯変源氏物語」の一気読みをするなど、勢いづいて、橋本治作品をいろいろ読んだ。

 

「蓮と刀」も、何度か読もうとしたのだけど、なぜかそのたびに、冒頭で挫折している。おもしろいのに、あとででいいやと思っちゃうのは、たぶん、恐ろしく頭のいい若い男性(いまの自分の年齢意識だと「男の子」と言いたくなるが、さすがにそれは自粛する)が、その頭のいい若者らしさを容赦なく見せつけてくることに、こちらがわで精神的な障壁が発動してしまうんだろうと思う。

 

なにしろ、本書は私のような読者の安易な共感を許さない。

 

男はみんなホモになれェ!

 

って、ここでホモの黴菌バラ撒いてんの俺だからサ、世の中ちょっとばかしヤバクなったら、それの論理的責任は俺ってことになるんだけどネ、でも、命令されてその通りやる奴ァバカだしねって言ってんのね。

 

「蓮と刀」

 

そりゃそうだ、と思うけれども、私のような読者のそういう共感や同意は、作者の視野には入っていないというか、石ころ以上に無意味であるように思えてならない。

 

面白ければ面白いほど、読む側を孤独にする本というのもあるのだ。