こんにちは。
またフィンランドの映画を見た。
Amazonプライム・ビデオで見られる作品だけど、プライム・ビデオのアプリ内で「フィンランド」のキーワードで検索しても、この作品は出てこない。お友達に教えてもらわなければ、出会えなかった作品だ。
前回みた「パンク・シンドローム」はドキュメンタリー映画だったけど、「365日のシンプルライフ」は、映像日記のような手法の作品だ。
印象としては、いま騒ぎになっているリアリティショー(演出意図に沿って、いかにも素の自分らしく見えるように演じてみせる作品)と、ドキュメンタリー作品の、中間くらいの位置付けだろうか。
監督が主役をしていて、親族や友人、恋人なども、本人たちが出演しているかのように描かれている。
もしかしたら本当に監督個人の日常そのものを切り取って編集した部分もあるのかもしれないけれども、演出の手の入らない生(なま)の出来事というわけではないと思う。
モノをたくさん所有することで、自分の価値を満たそうとしていた青年が、失恋したことがきっかけで、厭世観に囚われるようになる。
自分で買い集めた多くのものを見渡しながら、青年は、ある実験を思いつく。
まず、持ち物すべてを一度手放す。
家具、家電、衣類、靴、携帯電話とパソコン、財布とカード、趣味で集めた品々など、所有物のすべてをトランクルームに入れるなどして、車も人に預けてしまう。
1日にひとつだけ、必要なものをトランクルームから持ち帰ることができる。
ものを増やすための買い物は一切しない。
365日、そのルールに従って暮らすというのが、青年の実験だった。
すべての所有物を手放したのだから、初日は当然、全裸である。
青年が、暗い雪道を全裸で走ってトランクルームから持ち帰ったものは、コート一着だった。
そのコートにくるまって、床で眠った青年は、とても安らいでいた。
そんな奇矯な行動をする青年を、家族や友人たちは、かなり呆れつつも見守っていて、頼まれれば力を惜しまず協力もする。なんだか不思議な距離感だった。
もののない生活の中で、青年は自分と所有物の関係を見つめ、周囲の人々との交流を噛み締め、伴侶となりそうな女性とも出会って、この先の生き方を選んでいく。
所有とは責任であり、モノは重荷になる 。
どんな重荷を背負うか、僕は自分で決める。
人生はモノでできていない。
青年が映画のラストで語った言葉は、言われてみれば当たり前のことだけれども、自分のなかに芯がなければ言えない言葉かもしれない。
それにしても、いくら北国の人でも、雪道を全裸の靴なしで走るのは、厳しくはないのだろうか。走ってる途中で新聞紙拾って局部を覆っていたけど、保温効果は低そうだった。(´・ω・`)