湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

長くてとりとめのない読書日記

 

雑誌マーガレットのサイトで、榛野なな恵Papa told me」が全巻無料で読めると知って、何冊か読んでいたら、なぜか大島弓子の「綿の国星」を思い出した。

 

 

 

 

心は動いて深くなるのに、主要なキャラの関係があまり動かなくて、時間もあまり流れていかないからかもしれない。

 

永遠であるはずのない日常が、永遠であるかのように錯覚させるところも、少し似ているのかもしれない。

 

そういう意味ではサザエさんとか、ドラえもんとか、こち亀とか、パタリロとかと同系統になるのかもしれないけど、そこまでタフな永遠性ではなくて、ものすごく小さくて儚い一瞬の場面を、特別な電子顕微鏡で時間ごと無限に広げ続けているような、凝視の意志や覚悟があるという感じでもある。

 

 

大島弓子の作品は、ほぼ全部持っていたけど、残念ながら手放してしまった。いま読み返したいかというと、それほどでもない。必要な時期に、十分に繰り返して読んだから、もういいのだけど、あと20年くらいして再読したら、どんな気持ちになるかなというのは、少し興味がある。

 

 

綿の国星 (第1巻) (白泉社文庫)

綿の国星 (第1巻) (白泉社文庫)

  • 作者:大島 弓子
  • 発売日: 1994/06/01
  • メディア: 文庫
 

 

(_ _).。o○

 

 

エミリー・セントジョン・マンデル「ステーション・イレブン」を読了。

 

 

グローバル化した社会に致死率の高いグルジア風邪という感染症が蔓延して、ほんの数週間で都市文明が崩れ去っていく。

 

死臭に満ちたビル街。

死の街から逃げ出せなかった車列と亡骸。

死者を満載したまま滑走路の隅に捨て置かれている旅客機。

 

パンデミックから20年を経て変わり果てた世界を、シェークスピアを演じる楽団の馬車が旅をしている。

 

楽団メンバーで女優のキルスティンは、文明崩壊のころには8歳の子役として「リア王」の舞台に出演し、主演のアーサー・リアンダーに可愛がられていた。アーサーの最初の妻の描いた「ドクター・イレブン」という漫画本を、彼の死の直前にもらって愛読し、世界崩壊後もずっと持ち歩いている。

 

また、旅の途中に空き家に立ち寄っては、アーサーの記事が載った古い雑誌を探し出してコレクションしている。崩壊前の世界の記憶のほとんどを失ったキルスティンにとって、ゴシップ記事のなかのアーサーの人生の片鱗をかき集めることが、人生の欠落を埋める作業のようになっているように見える。

 

アーサーは、世界が滅びはじめた頃に、舞台の上で病死する。彼は三度の結婚と離婚のスキャンダルにまみれて疲弊して、親友との対話の最中にも、人の目を意識した演技でしか語れないほど、とりとめなく空虚な人物に成り果てていた。けれども、最後の舞台に立つときに、誠実に愛すべきだった人々への思いを実感し、二番目の妻と息子が住むイスラエルに移住することを決意するものの、死んでしまったため実行はできなかった。

 

亡くなる前、アーサーは、イスラエルで元妻と暮らす息子のタイラーに「ステーション・イレブン」を送っていて、死の舞台の直前に、電話で息子とその漫画の話をしていた。文明崩壊後も生き延びた息子にとって、その漫画は、生き延びた意味を解釈するよすがの一つとなったようだけれども、その受け止め方は、キルスティンとは似ているようでいて、本質的に違っていたように思う。

 

キルスティンとタイラーは、アーサーと関わった時間が短かったにも関わらず、不思議なほどアーサーの人生のパーツをなぞっているように思える。

 

アーサーは無責任な恋愛を繰り返して配偶者を苦しめたけれども、キルスティンは同じ楽団に所属する恋人を裏切って破局し、タイラーは人妻を脅して奪ったり、少女を無理やり娶ろうとするなどして、相手の同意を得ずに一夫多妻の関係を持とうとしている。

 

アーサーは優しい人間だったと友人には言われていて、実際に思いやり深い行動をとることもあるけれども、妻となった女性に対しては、無自覚に酷薄な仕打ちをする。

 

「ドクター・イレブン」の作者である元妻ミランダとの結婚記念パーティに、アーサーは、愛人であり次の妻になるエリザベスを招待して、それがいいことだと思っている。夫とエリザベスの仲を見せつけられた上、開きなおったエリザベスの美しさや、若干スピリチュアルな言動に気圧されるようにして離婚に応じたミランダは、鋼鉄のように隙のないキャリアウーマンに生まれ変わり、最後は海外出張先でグルジア風邪に罹患して、愛する人を持たないまま、孤独に亡くなる。

 

ミランダの遺作である「ドクター・イレブン」は、帰るべき地球を失って宇宙ステーションに閉じ込められたまま放浪する人々の孤独と葛藤を描いたものだけど、その美しくて寂しい世界観の一部を作り上げたのは、難民として一時的に身を寄せただけのような虚しい結婚生活であり、アーサーという元夫の虚無的でとりとめのない人格であったのかもしれない。

 

エリザベスと結婚してタイラーが生まれたあと、アーサーは、三番目の妻になる女性との関係を、エリザベスに告白して離婚を求める勇気が持てないまま、雑誌記者にすべて話してしまう。離婚後はタイラーの誕生日に会いにいく約束を無断ですっぽかしておきながら、タイラーが恋しくなると、しれっとして電話をかけたりする。ミランダの人生をかけた作品をろくに読もせずに、エリザベスの息子であるタイラーにあげてしまって、その漫画をネタにタイラーと交流して機嫌を取ろうとする無神経さには呆れるけれども、他人の痛みに対する無頓着さは、より徹底した形で息子のタイラーに受け継がれている。

 

文明崩壊直前に、アーサーから「ドクター・イレブン」を渡されたタイラーとキルスティンは、その20年後に遭遇し、殺しあうことになる。

 

カルトの預言者となったタイラーは、母からもらった聖書と、選ばれて生き残ったという強い選民意識に立って、狂信的な取り巻きに武装させて、人々を恐怖や洗脳で支配し、光のような文明を蘇らせようとしている(らしい)。

 

キルスティンは、シェークスピア劇を演じて役に入り込むことに、救いのない世界での生きがいを感じ、芸術によって人々の心を動かしている。

 

アーサー・リアンダーという俳優の人生の一部を受け取った二人の子どものうち、キルスティンが生き残り、キルスティンを殺害しようとしていたタイラーが逆に命を失った理由は、因果を簡単に説明できるものではないけれども、偶然でもないように思える。

 

人を愛し、芸術によって人生を生きたものにすることができるキルスティンを救ったのは、タイラーの狂信的カルトに巻き込まれて心を殺されかけていた少年だった。彼はキルスティンの舞台に心打たれ、彼女がタイラーにつかまって殺されるのを黙認できずに、自らタイラーを射殺したのだった。

 

デストピアで生き抜いて豊かに実を結ぶための資質を、最愛の息子に伝えられず、結果的に共演した少女に伝えたために、息子が死ぬことになったというのを、アーサーが知ったなら、死後であっても自分の生き方を猛烈に反省したのではなかろうか。

 

 

子を持つ親としてどうあるべきかということに思いを馳せるのは、この作品の主意ではないだろうけれども、それでも思ってしまうのである。子どもに伝わるのはDNAだけではないのだと。

 

誰かの無造作な生き方そのものが、まるでウィルスのように、次世代の子どもたちに感染し、新しい世界に影響を与えることもあるのだなと。

 

 

新型肺炎で緊急事態宣言が出ているこんな時期だけに、読み応えのある小説だった。

 

kindleで読んでいる間、ずっと、バッハの「ゴールドベルク変奏曲」をバックで流していたのだけど、作品のラストで、旅の楽団が同じバッハの「グランデンブルク協奏曲」を演奏したとあって、「惜しい!」と思った。いや、曲想はだいぶ違うけども。「ゴールドベルク」は、デストピアによく似合ってけれど、「グランデンブルク協奏曲」は、明るい生産と発展をイメージさせるから。