おはようございます。
駐車している車の中で書いてます。
これから絵画教室。
更年期障害が一番苦しかったころに通い始めて、もう何年目になるんだろう。四年目かな。よく続いていると思う。
絵、苦手だし本気で下手なのに、描いていると、身体の痛いのやつらいのを忘れる。たぶん、好きだからだろう。上達しないけど、気にしない。
教会の日曜礼拝でも、同じことが起きる。
日曜の午前中限定で、出かけるのが億劫でない程度に調子があがるのだ。信仰はわからない。一生わからないかもしれない。でも聖書を読むと、必ず気づきがある。古いテキスト、古典が好きだからだろう。
我らに罪をおかすものを、我らが許すごとく、我らの罪をも許したまえ。
「主の祈り」のなかで、もっとも好きな一節だ。自分が一方的な主体ではないことを、不幸や不遇が孤独な事象ではないことを、常にあっさりと思い出させてくれるから。
そういえば、相模原のあの事件の初公判で、容疑者が暴れ出したために、公判は延期になったという報道をチラ見した。
そんなことになるだろうという気はしていた。死刑になるのが怖いのだとか。自分が、都合よく妄想していた社会システムの良き歯車などではなく、逃げ場などどこにもない、孤独な個人であったことに、少しは気づいただろうか。
うちの長女さん(障害者施設勤務)は言っていた。
「そんなに人殺して世の中の役に立ちたかったなら、がんばって勉強して、死刑執行人になれば良かったじゃないか」
ほんとだね。