湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

家事と小説と事件

こんにちは。

 

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あいかわらず、10分以上続けて家事ができない体力なので、割り切って、タイマーを10分で鳴るようにして、その間だけ動くことにした。

 

流しの洗い物その他、10分。

たっぷり休憩。

居間の掃除、10分。

たっぷり休憩。

掃除の続き、10分。

お昼ご飯。

 

甚だしく生産性が低いように見えるけれども、集中しての10分間の作業量は、なかなか馬鹿にならないものだ。台所はそれなりに片付いたし、居間も幾分きれいになった。

 

完璧には程遠いけど、やらないより何倍もマシだ。それに、気分がいい。

 

 

相模原のあの事件

 

明後日、初公判があるらしい。

新聞に、容疑者の言ったことなどがあれこれ書いてあった。写真や似顔絵も掲載されていて、見るだけでも大層気分が悪いけれども、目を塞いでいたくもないから、我慢してザッと読んだ。

 

 

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捕まってまもなく、この容疑者は、(障害者の)親が不幸で可愛そうだから(障害者を)殺してあげるのだ、云々と語っていた。

 

障害者の親は、つらそうな顔も疲れた顔も見せてはならないらしい。ふざけるなと思った。

 

犯人に対してではない。こういう記事をよんで、ほんの少しでも、その言動に、深い考えもなく共感するすべての「普通の人」の、無自覚に奢った精神にに対して、そう思う。

 

事件は犯人がひきおこしたものだが、私にはあの人物に、個としての人格を見出せないし、なんの興味もない。あれは、この世の中のくだらない集合意識が、つまらないエゴとか自己愛とかを触媒にしてうっかり発生してしまった、人間風に見える化け物の一種と思っている。

 

大江健三郎が、「かわいそうだから殺してあげようという考えは、センチメンタリズムによるファシズムである」ということを、著作のどれかで語っていた。

 

感傷に結びついた全体主義は、恐ろしい。それは、ごく当たり前人間らしい心情を持っている人たちの良心を、たやすく麻痺させるからである。

 

そういう類の心の麻痺を散らすには、自分が殺される側に心を置いてみるしかないのだろうけど、大多数の側が安全圏にいるからこそ成立する感傷であるため、なかなかそういう機会は現実には起こらない。

 

頼みの綱は、小説や映画などのフィクションの世界だけれど、私のみるところ、そういう考えにたやすく染まる人たちというのは、シリアスな要素を含んだフィクションの世界を楽しまない人たちである。

 

小説があまり読まれなくなっている社会は、だから、怖い。

 

人々が内心求めているような体験を美味しく提供するような娯楽作品ではなく、読んだだけで、日常を塗りつぶしている「あたりまえ」をはぎ取ろうとしてくるような作品が、書かれにくくなるのだとしたら、恐ろしい。

 

税金を無駄にするような障害者も、福祉事業も、医療費を食いつぶす病人も、国の政策の調和を乱すような言動も、何一つ存在しない、完全に管理された社会が好ましいと思う方々には、是非ともジョージ・オーウェルの「一九八四年」を読んでもらいたい。

 

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

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