湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

「絵」というお題の絵

 

iPhoneの引き継ぎ作業が済んで、アプリ類がほぼ全部使えるようになったので、久しぶりにラクガキでもしようと思って、長女さんに「なんかお題出して」と言ったら、「絵」というお題が来た。

 

で、「絵」というお題の絵を描いた。

 

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かなり、苦しい。(´・ω・`)

 

額縁が付いているのは、「絵」であることを強調するため。中の画像には特別の意味はない。なんとなく薔薇っぽい花の絵が描きたいなと思っただけだ。

 

 

このお題「絵」には、一応、我が家独自の由来がある。

 

息子が小学校の養護学級(のちの特別支援学級)に入学して、授業ではじめて描いた絵が、四つ切りの画用紙いっぱいの「え」というひらがなだったのだ。

 

「運動会の絵をかきましょう」

 

と先生に言われ、息子なりに考えた結果が、それだったらしい。

 

授業参観のときに貼り出された息子の「運動会の絵」は、巨大なひらがなの「え」の上に重ねて、おそらくは先生が息子の手を持って描かせてくれたのであろう、棒人間的なフォルムの児童が数人、描きこまれていて、なかなかシュールな作品だった。

 

小学校に上がった時点で、息子はひらがなの読み書きを習得していて、聞いた言葉を書き取ることもできていた。けれども、視覚情報を自分なりに解釈し、それを紙に描いて表現すること、すなわち絵を描くということの意味が、理解できなかったのだ。

 

小学校、とくに特別支援学級では、絵を描くことに相当な時間を当てるから、絵を描けないと、その時間に全く参加できないことになる。それは、寂しいことだと思ったので、なんとか息子に絵を描くスキルを身につけてもらおうと、あの手この手でアプローチした。

 

その結果、絵描き歌の絵のように、決まった図形を再現するという形であれば、息子でも「絵を描ける」ことがわかった。

 

そこで、「男の子の絵」「女の子の絵」「犬の絵」「おうちの絵」など、汎用性の高そうなお題を選んで、シンプルな図形を決めておき、あたかも漢字の練習のように、それらの「絵」を息子に練習してもらった。

 

練習の効果があって、息子は、適切な言葉の指示があれば、「絵」を描けるようにはなった。でも創作活動としての描画には、ついに開眼しないまま、十二年間の学校生活を終えた。

 

いま通っている介護施設でも創作を楽しむ時間があるけれどわ絵ではなく、貼り絵の作業が多いようだ。

 

昨日は珍しく、折り紙を持ち帰ってきた。

 

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たぶん、サンタクロースの折り紙だと思う。

顔の部分に、ひらがなが書き込まれているのは、おそらく介助してくださった職員さんが、息子に目を描いてもらおうとして、

 

「ここに、まる描いてね」

 

などと話しかたのを、そのまま書き取ったのだろう。

 

息子にとっての「絵」は、いまも「音声→文字」なのだ。