ゆうべ、Amazon様からのメールで、映画「ボヘミアン・ラプソディー」のレンタル料がいまなら100円であると知った。サイバーマンデーのご利益らしい。
さっそくAmazonプライム・ビデオでレンタルして、パソコンで鑑賞。
自分の人生の数十年分と抱き合わせで味わって、たっぷり泣いた。私の世代の人にとって、これはそういう映画でもあると思う。
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映画館で「ボヘミアン・ラプソディー」が上映されていた頃、毎日のように葛藤していた。
見に行きたくてたまらなかった。
でも、結局行けなかった。
前の年に映画館でパニック発作を起こした記憶が、まだ生々しいころだったのだ。
上映中に映画館に行かなくても、映画は死んだりしない。「ボヘミアン・ラプソディー」なら必ずDVDになるだろうし、ネットでレンタルできるようにもなるだろう。人は死ぬけど映画は死なない。そう思って、映画館に行くことは諦めた。
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クィーンが最後に来日した1986年(だったはず)にも、同じように葛藤していた。健康だったあのころなら、どんな大音響のライブでも行けただろうに、チケットを買って新幹線に乗ることを、自分に許す勇気がなかった。一年留年して大学院に進学したばかりだったから、遊んでいる暇などないと自分に言い聞かせて、諦めた。クィーンはきっとまた来るだろうし、もっとちゃんとした人間になってから贅沢しようと思ったのだ。
まさかそれから何年もしないうちに、フレディ・マーキュリーがエイズで亡くなるなんて、思いもしなかった。次なんて、なかったのだ。訃報を聞いた日には、あのときなんとしても行っておけばよかったのにと、心から後悔した。
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はじめてクィーンの曲を聞いたのは、高校一年か二年のころで、場所は教室だった。お昼休みに突然流れてきたバイシクル レースに、一気に心を奪われた。少年のような、不思議な美しさを感じさせる声と、物語を感じさせる曲の奥行きに、とにかく魅了された。
当時の私は、自分の自転車を買って、練習して、自由に町を走り回れるようになることが、ささやかな夢の一つだったので、唯一聞き取れた冒頭の歌詞「私は自分の自転車にのりたい」のリフレインにも、強い憧れを誘われた。
私が通っていたのは、良妻賢母の育成をモットーとするお堅い女子高だったけど、放送部にロック好きな部員がいたらしくて、校風に似つかわしくない曲が時折かかって、世間知らずの生徒たちを騒がせていた。
サザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」が流れたときは、歌詞の一部を巡って、クラスで論争が起きた。
「胸騒ぎの、トシツキ? それとも腰つき?」
「発音聞き取りにくいね、歌手」
「トシツキ(年月)でしょ。胸が騒ぐのに、腰を問題にする意味がわからない」
「そうかな。腰って言ってる気がするんだけど」
「そもそも、腰つきがどうのこうのなんていうイヤラシイ歌詞の曲を、先生が許可するわけないし」
「うん。胸騒ぎの年月なら、意味は通るしね」
こんな感じの女子高だったから、クラスのなかにクィーンを知っている人などいるはずもない。私はバイシクルレースがクィーンというロックバンドの曲だということも知らないまま、でもいつかそのレコードを探して買おうと心に決めて、高校を卒業した。
大学生になって、「貸しレコード屋」というものが自宅近所に存在していることを知った私は(CDなんてものはまだこの世に存在していなかった)、さっそく出かけていって、「私は自分の自転車に乗りたい」という歌詞で始まる曲の入っているロックのアルバムを探した。店員さんに聞くと、それはすぐに見つかった。
うきうきしながらクィーンのアルバム「JAZZ」を借り出して、自宅に持ち帰り、レコードを取り出すと、黒っぽくて地味なジャケットの中に、ポスターらしきものが入っている。
開いてみると、大勢の素っ裸の女性たちが、自転車にまたがって、いままさにペダルを漕ごうとして左太ももを上にあげた瞬間を左側から捉えた写真……のようだった。
アングルと、切り取った瞬間のおかげで、大きなカラーポスターの中には、法律上陳列するとまずいものは、一つも写っていなかった。とはいえ、彼女たちが自転車を漕ぎ出した瞬間に、視覚上の合法性が崩れ去るだろうことは誰にでも予想がつく。漕がなかったとしても、撮影の前後、この女性たちが自転車にまたがるときと、降りたときには、画面上に甚だ多くの「見えてはならないもの」が点在していたことだろう。
高校の放送部の顧問の先生は、お昼休みの曲目を許可するにあたって、おそらくジャケットだけ見て、中のポスターは確認しなかったのだろう。あるいは放送部員がポスターをうまく隠したか。
なにはともあれ、このときダビングしたアルバムを、私は何年も何年も聴き続けた。時代が移り変わって、レコードが廃れCDの時代が始まっても、クィーンのCDを買うことはなく、ラジカセで「JAZZ」ばかりを聴き続けた。
当時もいまも、私はテレビをほとんど見ないし、音楽家の雑誌などを読むこともほとんどなかった。生まれながらの情弱体質で、そのことにさして疑問も不自由も感じなかったし、自分が恐ろしく浮世離れした人間であることに気づいてもいなかった。
だから、1970年代末からクィーンをずーっと聴き続けていたにもかかわらず、私は、1990年代になるまで、フレディ・マーキュリーの顔を知らなかった。
知らなかったのは顔だけじゃない。
首から下も、さまざまなゴシップについても、一切なにも知らなかった。
なぜなら、唯一手に取ったアルバム「JAZZ」に、フレディの姿がはっきりわかるような写真が見当たらなかったからだ。あったとしても、山盛り全裸自転車ポスターのインパクトのせいで、気づかなかったことだろう。
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話は全く変わるのだが、私には若干の集合体恐怖症の傾向があって、細長いもの、特に毛状のものが、白っぽい平面に密集している映像を見ると、背中がぞわぞわしてたまらなくなる。
例えるならば、白っぽいコンクリートの外壁に、ぎっしりと産み付けられてしまった、ウンカか何かの卵とか。
色白の皮膚に密集して生えている、人間の胸毛とか。そして腹毛とか。頭皮の拡大画像とか。
……文字で書いてるだけでもキツい(;_;)。
胸毛腹毛の濃い人を差別する気持ちはさらさらないのだが、とにかくもう、どうしようもなく苦手なのだ。
フレディ・マーキュリーの訃報を知り、ライブに行かなかったことへの悔恨にくれた数年後、近所のTSUTAYAで、クィーンのPV集らしきビデオテープをたまたま見つけ、購入した。値段は忘れたけれど、たぶんCD一枚分くらいだったと思う。
そのビデオテープで、私ははじめて、フレディ・マーキュリーの容姿を、まじまじと見ることになる。
そのときの衝撃については、多くを語りたくはない。
当時1歳でロックが大好きだった長女に、
「くいー! みる!」
と毎日のようにせがまれ続け、クィーンの素晴らしい楽曲に合わせて作製された、一つ一つに大作映画のような奥深い物語を感じさせられる映像……の中に写り込んでいる、胸毛、腹毛……を、ひたすら見続けることで、ついにはある程度克服することができたということだけを、ここでは記することにする。
映画「ボヘミアン・ラプソディー」について、もっといろいろ書きたいこともあったのに、長くなってしまったので、今回はこの辺でやめておく。