Twitterで、「新潮45」と、それ以外の新潮社の中の人たちとの戦い(?)が話題になっている。
新潮社のアカウントはフォローしてなかったけど、国文学研究資料館館長のロバート・キャンベル氏が、元ツイートにコメントをつけてリツイートしたのが流れてきたので、気がついた。
「良心に背く出版は、殺されてもせぬ事(佐藤義亮)」
新潮社の創業者の言葉だそうだ。
岩波書店のアカウントも、これをリツイートしていた。
ロバート・キャンベル氏のご専門は日本の近世文学だそうだけど、最近では、同性婚をカミングアウトした学者さんということで、マスコミの登場頻度が高くなっている。新聞記事は読んだし、テレビを見るのが苦手な私にしてはめずらしく、出演されたテレビ番組も、ちょっと見た(途中で息子に消されたけど)。ご専門のほうの一般向け著作は、まだあまり出版されていないようだ。残念。
それはともかく、どんな様子なのかと思って「声援」のコメント群を見物していたのだけど、たしかに多くの読書好きの、それも文学好きの方々の熱い思いがつぶやかれている。
でも、中に一つ、どう読んでも「声援」ではないコメントがあった。
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貴社の文芸の編集者に言われたことをきっちりお返ししよう。
何様のつもりだよ、お前みたいなのはエロとウヨでも出してりゃいいんだよ、気取んじゃねえ、屑。
部数求めて地べた這いずり回っていればよろしいかと思う。御社にはとても相応しい。
最大限の軽蔑を込めて。
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tamanoirという方のツイートだ。
Twitterのプロフィールにホームページのリンクがあったので、開いてみて驚いた。
作家の佐藤亜紀氏だった。
ウィキペディアの佐藤亜紀氏のページに、「新潮社との関係途絶の経緯」がまとめられていたのを読んだ。
ただの素朴な読書好きにとっては、頭や胸がどうにも痛くなるような「経緯」だが、平野啓一郎作「日蝕」(平成10年下半期芥川賞受賞)と、佐藤亜紀作「鏡の影」のプロットがだいぶ似ているらしいということには、強い興味を引かれた。
そのうち両方読んでみよう。
理由は、どちらも面白そうだから。
平野氏の「マチネの終わりに」は美しい話だったものの恋愛の成り行きがいささか胸クソ…いえ、あまり好みではなかったけど、「日蝕」は中世ヨーロッパのキリスト教の怪しい世界を描いているようで、最近の私の興味に重なる。
「鏡の影」も、内容説明や読者のレビューを読んでいて、大変心を引かれる。
という具合に、購買意欲をかきたてるという意味では、「新潮45」のあれは、出版社の本当の意図はどうであれ、炎上商法的になっていると思われた。
だって、Twitterの騒動を見かけなければ、今年中にぜひとも佐藤亜紀氏の著作を読もうと思い立たなかっただろうし、「マチネの終わりに」の読後感で討ち死にした後遺症から復活する前に平野啓一郎氏の作品を読もうとも思わなかっただろうから。
創業者がいくらああおっしゃっていても、良心だけでは、売れないし稼げないということなんだろう。
それもこれも、本を買って読む人が少なくなったから……か。
ならば、読もう。
たくさん、読もう。
でもまだ体調がもどらないから、ほどほどに。(´・ω・`)