湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

「鎌倉殿の13人」(15)足固めの儀式(歴史音痴と大河ドラマ)

第15回「足固めの儀式」を見た。


大変に、後味の悪い回だった。(´・ω・`)


時期的にそろそろだとは思っていたし、ツイッターで「#上総介ロス」等の文字列がちらちらと目に入っていたから、覚悟はしていたけど、上総介広常の亡くなり方の無惨さは、軽く想像を超えていた。

 

佐藤浩市が演ずる上総介広常は、大勢力を持ちながら素朴な人柄で、権力者としてのシビアな側面も持ちながらも懐に入れたものには温かく、尊敬に足る魅力を持つ相手には素直にあこがれ、将来にことを成すのを楽しみに待つという、魅力的な人物だった。

 

治承四年の挙兵の時に、頼朝の大将の器などを見込んで味方につかなければ、上総介広常は、誅殺されることもなく、生き延びられたのかもしれない。

 

でもそれは、上総介に人を見る目がなかったというよりも、頼朝を中心に広がり始めている権力の闇が深すぎて、自分に迫った危険を察知しきれなかったのだと感じた。ドラマはそういうふうに描いていたと思う。

 

それにしても、脚本は底意地が悪すぎると思う。(T_T)

 

損得と情で横につながる坂東武者を、権力と非情で縦に切り離していく頼朝。

 

その頼朝の最初の犠牲になった上総介広常の、ひたむきでいじらしい人柄を強調して見せれば見せるほど、鎌倉から頼朝の血筋が絶えていく未来も、御家人たちが内ゲバで消えていく成り行きも、「当然」のことにように思えてくる。

 

内政管理が好きで野心に乏しい次男坊だった義時が、身内の共食いみたいな内部抗争に打ち勝って生き残っていく黒い下地が、頼朝によって作られていくのだというのも皮肉な話だ。結局頼朝の子どもたちは、結局北条に殺される(助けてもらえない)ようなものだろうから。

 

これから義時は、もっともっとグロテスクな歴史の渦中で、自らの手も血で染めることになる。なんだかなあ(T_T)。

 


上総介の殺害は、北条泰時誕生と同じ寿永二年の出来事で、その年の記事は「吾妻鏡」からすっぽり抜けているという。


鎌倉幕府としても、北条氏としても、都合が悪くて詳しく書き残せない話だったのじゃなかろうかと想像する。


書き残せない理由は、歴史音痴には計り知れないけれども、功労者を謀反人に仕立てたという、人道的にアウトな仕打ちなだけではなかったと思う。上総介の誅殺後、彼の所領は坂東武者に分配されたはずで、それをもらった人々も、誅殺を追認したようなものだろうから、ドラマを見ていた私以上に後味は悪かったに違いない。


慈円の「愚管抄」に、頼朝が後白河上皇に語ったという、上総介広常誅殺の経緯が掲載されているというので、家にあった岩波文庫版「愚管抄」を眺めてみたのだけど……


とっても読みにくかった。(T_T)

 


院ニ申ケル事ハ。ワガ朝家ノ爲。君ノ御事ヲ私ナク身ニカヘテ思候シケルハ。介ノ八郎ヒロツネ(広常)ト申候シ者ハ東国ノ勢人。頼朝ウチ出候テ君ノ御敵シリゾケ候ハントシ候シハジメハ。ヒロツネヲメシトリテ。勢ニシテコソカクモ打エテ候シカバ。功アル者ニテ候シカド。オモヒ廻シ候ヘバ。ナンデウ朝家ノ事ヲノミ身グルシク思ゾ。タダ坂東ニカクテアランニ。誰カハ引ハタラカサンナド申テ。謀反心ノ者ニテ候シカバ。カカル者ヲ郎従ニモチテ候ハバ。頼朝マデ冥加候ハジと思ヒテ。ウシナイ候ニキトコソ申ケレ。

 

ソノ介八郎ヲ梶原景時シテウタセタル事。景時ガカウミヤウ云バカリナシ。双六ウチテ。サリゲナシニテ盤ヲコヘテ。ヤガテ頸ヲカイキリテモテキタリケル。マコトシカラヌ程ノ事也。

 

コマカニ申サバ。サルコトハヒガ事モアレバコレニテタリヌベシ。コノ奏聞ノヤウ誠ナラバ。返返マコトニ朝家ノタカラナリケル者カナ。

 

愚管抄」第六 梶原景時平広常を殺す (岩波文庫版)旧字は適当に新字に改めてある

 

 

 

 


逐語訳はキツいので、後白河法皇と頼朝の会話の形で適当に意訳してみる。(ほんとに適当)

 

「頼朝くん、なんで広常殺しちゃったのよ。功労者だったんじゃないの?」

「あのね上皇さま、ボクは天皇家のために滅私奉公する覚悟であるわけですよ。でもね、上総介広常っていうヤツは、最初のうちはボクに従って戦ってくれてたけど、そのうちナマケたがるようになっちゃってさ、『天皇家のことなんて、坂東武者の俺らに関係ねーじゃん。なんでわざわざ都まで行って戦争しなくちゃなんねーの? だるいわー』なんて言い出しやがったんですよ。許せないでしょ?」

「ん、まあそうだねえ」

「そんなやつを家来にしてたら、上皇さまラブのボクのことなんか、いつ裏切るかわかんないし、あぶねーじゃん。だから殺っちゃったわけ」

「ふむ。しかし結構な勢力をもっていた男を、一体どうやって倒したのよ」

「あー、それはうちの暗殺係の梶原景時くんが、うまくやってくれたんですよ。双六にさそって、仲良く勝負を楽しんでいる、と見せかけて、盤を乗り越えてバッサリと」

「双六で暗殺とはまた……大豪族がそんなに簡単に騙されてくれるものなの?」

「嘘だと思います?」

「嘘なの?」

「ま、御想像にお任せしますわ。うふふ」

「ふふふ、細かい詮索はしないでおくよ。まあよくやった。頼朝くんは天皇家の宝物だよ(使い勝手のいい道具って意味でね)」

「ありがたきシアワセー(ふん、食えない天狗オヤジめ)

 

 

そばで聞いている人たちは、きっと寒かったことだろう。

 

それにしても愚管抄、全現代語訳の講談社学術文庫版が欲しい。(´・ω・`)

 

 

 

 

 

( _ _ ).。o○

 

今回は画面の中に食べ物が見当たらなかった。

食事どころじゃなかったから仕方がないけど、残念だ。

 

万寿の足固めの儀式のシーンで、三宝の上に何か乗っているので、食べ物かしらと思って凝視したけど、どうやら兜の作り物のようだった。

 

( _ _ ).。o○

 

完全に蛇足だけど、上総介広常を演じた佐藤浩市を初めて見たのは、映画「敦煌」だった。

 

 

敦煌」は、1988年、日本と中国の合作で作られた映画。

原作小説は、井上靖敦煌」。

88年当時、まだ学生だった私は、劇場でこの作品を見て、圧倒された記憶がある。

 

佐藤浩市が演じたのは、主役の趙行徳という学生だった。

趙行徳は科挙の試験に落第して気落ちしてさまよっているところを、西夏の軍隊に捕縛され、無理やり漢人部隊に編入させられてしまう。慣れない戦に戸惑うものの、漢人部隊長の朱王礼(西田敏行)に目をかけられて生き延びる。

 

戦争で助けたウィグルの美しい王女と恋仲になったものの、幸か不幸か才能を見込まれて書記に抜擢され、留学まで決まったために、王女と引き離されてしまう。

 

趙行徳は離れる前に王女を朱王礼(西田敏行)に託したけれども、王女は西夏の皇帝である李元昊との結婚が決まる。

 

ようやく趙行徳が戻ってきたとき、王女は城壁から身を投げて死ぬ。

 

王女に思いを寄せていた朱王礼(西田敏行)は、皇帝の李元昊(渡瀬恒彦)が許せず、殺そうとして迫るものの、勝てずに戦死。

 

愛する女性も友も失った趙行徳は、大量の貴重な文書が戦乱で失われることを避けるために、それらを敦煌の石窟寺院に隠す。

 

……というようなお話だった。

 

井上靖の原作小説では、ウィグルの王女との恋愛よりも、趙行徳がいかにして西夏の文字と出会い、敦煌の文献を守ったかのほうに、焦点が当てられていたように思う。

 

科挙に落第し、恋をも失った趙行徳を演じる、若かりし佐藤浩市は、「鎌倉殿の13人」の義時の姿に、ちょっと重なる。

 

「鎌倉殿」で後白河法皇を演じている西田敏行が、「敦煌」で佐藤浩市の上司・友人を演じているのも、なんだか面白いと思う。どちらも本当に若かった。映画を見ていた私も若かった……。

 

 

 

 

「鎌倉殿の13人」歴史音痴と大河ドラマ