小説「ライアの祈り」読了
映画に号泣した勢いで、Kindle版の原作小説をダウンロードし、さきほど読了した。
映画ではほぼカットされて、曖昧なイメージのみとなっている、ヒロインの桃子の前世の物語が、小説では、ふんだんに語られていた。
縄文時代には文字文化が無かったため、人々が何を語り、何を思って暮らしたのかを知るすべは、ほとんど無いに等しい。
けれども、遺跡や出土品、そして世界各地に残る、有史以前から続いていると思われる習俗を残す種族の文化が、縄文人の心に近づく手がかりを与えてくれる。
朴念仁な考古学者のクマゴロウは、映画でも原作小説でも、古代を熱く語っていて、それがとてもわかりやすいので、古代音痴の私でも、自然に縄文時代に引き寄せられていく。
共にしあわせに、健やかに、心穏やかに暮らすことを願って支え合う共同体。縄文時代の遺跡は、人々の暮らしがそのようなものであっただろうと、推測させてくれるのだという。
タイトルの「ライア」は、かつて縄文時代の集落に暮らした少女の名である。小説では、彼女の人生の出来事と、現代に生きる桃子の様子が、交互に語られていく。
孤児だったライアは、族長の家族として大切に育てられていたが、狩りの最中、巨大なイノシシに襲撃され、片足の一部を失うほどの大怪我を負う。
仲間のために役立つことを生きがいとしていたライアは、不自由な身体で集落の厄介者となってしまったことに深く苦悩し、自暴自棄になりかけるけれど、集落の人々のライアを大切に思う気持ちは少しも変わらなかった。彼らはライアに、もともと資質のあったシャーマンとしての役割を与えて愛しんだばかりか、彼女が大切に思う人たちと共に、しあわせな人生を歩むための後押しを惜しまなかった。
ライアの時代から数千年たった八戸に暮らす桃子は、不妊と離婚で心に深い傷を負っていて、人と繋がることを恐れ、新たな出会いを避けていた。また、子供を産まない自分のことを、不完全で役に立たないもののように考えて、人知れず苦しんでいた。
けれども、ライアの生きた時代を発掘するクマゴロウと出会った時から、見失っていた絆のあたたかさや、本来のしなやかで愛情深い心を取り戻していく。
そして、小説のラストでは、映画では起きなかった奇跡が起こる。
それにしても、桃子の元旦那。
映画でも原作でも、本当に最低男だった。
不妊を理由に姑に責められて、鬱になって離婚した元妻に、自分がデキちゃった再婚することを、なんでわざわざ電話で伝えようとするのか。
原作ではさらに最低で、離婚前に、「他の女を孕ませたことがあるから、不妊原因は自分ではない」などと言い出す始末。この男を思わせるような人馬は、縄文時代編には登場しない。きっと早々とイノシシにでも齧られて退場したのだろう。
この作品は、三部作の最後にあたるものだという。
残りの二部も、ぜひ読まなくては。
あ、健康観察忘れてた
【小説を楽しめる程度には元気。動くとしんどい】
鬱はどの程度良くなっているのだろう。
無理してはぶり返してるので、もうしばらくは慎重に行く。