こんにちは。
今日は日曜日。
午前中は、長女さんと末っ子の3人で、教会の日曜学校へ。先週に続いて、今日も新約聖書の「テサロニケ人への第一の手紙」のお話を聞いた。
帰りにショッピングモールのGUで衣類を買って帰宅。長女さんは白のブラウス、末っ子はもこもこしたグレーの部屋着と、鮮やかなオレンジ色のセーターを一枚。
お昼は博多豚骨ラーメン。亭主作。おいしかった。
午後は末っ子の入試対策で、歴史ドキュメンタリーを一本見た。
Nスペ「日本人はるかな旅」第5集 そして"日本人"が生まれた」
NHKオンデマンドで視聴。
知らないことがたくさんあった。
学校の日本史では、弥生時代に大陸から稲作が伝来したと習うけれども、大陸からの人の移動や、縄文人たちのその後については、教わった記憶がない。
歴史音痴の私は、もともと日本列島に住んでいた人たちが、渡来人がもたらした大陸の文化を受け入れて、それが次第に広がったのだろうと思っていた。
実際、そういう側面もあったようだけど、縄文から弥生への切り替わりの時期には、激しい異文化間摩擦、というか、渡来人による縄文人の一方的な殺戮があったのだという。
弥生時代を作り上げた渡来人は、いまから2300年ほど前に、大陸から大挙して九州に上陸したのだという。
春秋戦国時代だった当時の中国は、長期に渡って戦争ばかりで生きにくく、平和な新天地を求めて自国を離れる人々が多かったらしい。
その人々は、稲作文化だけでなく、戦いに有利な武装を作る技術も持っていたので、人間同士の争いの少なかった縄文人では太刀打ちできなかったのだという。
九州に上陸した渡来人は、縄文人を駆逐して稲作文化を広めながら東へ東へと勢力を伸ばしていったけれども、開墾の困難な森林の広がる東日本には、なかなか入り込めなかったという。
東日本の森林地帯には、採集生活をする縄文人が多く住んでいたことも、渡来人たちの武力による侵攻を困難にしたようだ。
で、どうなったのかというと、西日本の渡来系弥生人と、東日本の縄文人は、平和的かつ文化的な交流を始めたのだという。その結果、縄文式の特徴を備えた土器が西日本でも作られるようになり、東日本には、渡来系住人と縄文系住人が共存する集落が作られて、稲作が行われ、混血も進んでいったのだという。
見終わって、つくづく惜しいと思ったのは、2300年前に大陸から渡来した人々が、文字文化を日本列島に持って来なかった、あるいは根付かせる努力をしなかったことだ。
番組のなかで、渡来人が詠んだようにも思われる漢詩が紹介されていた。出典は「詩経」だという。
「碩鼠」
碩鼠碩鼠,
無食我黍!
三歲貫女,
莫我肯顧。
逝將去女,
適彼樂土。
樂土樂土,
爰得我所。
【書き下し文】
碩鼠碩鼠
我が黍を食ふこと無かれ
三歳汝に貫ふるも
我を肯へて顧ること莫し
逝將に汝を去り
彼の樂土へ適かん
樂土樂土
爰に我が所を得ん
【口語訳】
大きなねずみ 大きなねずみ。
私の黍を食べないでおくれ。
三年あなたに仕えたけれど、
私をかえりみてくれなかった。
さあ、あなたから去って、
あの楽しい土地へ行こう。
楽しい土地、楽しい土地。
そこに私の居場所を見つけよう。
(原文はwikisourceの「詩経」から引用。口語訳は「毎日文化センター」の漢詩入門のページから引用させてもらいました)
漢詩入門 ② 『詩経』 毎日文化センター 市川桃子: 毎日文化センターの漢詩入門
日本列島を楽土と考えて渡来してきた人々は、稲作などの文化を持ち、渡航技術もあったわけだから、識字層が全く含まれていなかったとは思えない。金印など、文字を含む遺物があるのだから、文字の存在は知られていただろうし、大陸側に使いを出したりもしていたのだから、文書のやりとりだって、あったのかもしれない。
なのに、弥生時代には、自分たちについて文字で記録を残した形跡が、いまのところないという。
弥生時代から文字文化が根付いていたなら、日本史の空白地帯がずいぶん減るだろうに。本当に残念だ。
(_ _).。o○
還暦プラス1日目。
せっかくだから、何か次の誕生日まで目標を立ててみようと思い立った。
自分があと何年生きられるのか見当もつかないけど、健康状態を考えればそんなに長くはないと思う。だったら、できる限り楽しく過ごしたい。
となると、体力と脳の健康の維持は欠かせない。病気は全く楽しくないし、頭が動かなくなったら何もできない。
十年後、寝たきりになっていないように。
ボケて読書もできない状況にならないように。
二度の新型コロナ感染で落としてしまった体力を、ゆっくり回復させよう。
脳が錆びつかないように、どんどん使おう。
なんて話を、日曜学校に行く途中、車の中で話していたら、長女さんや末っ子も賛同してくれた。子どもたちに余計な世話をかけないためにも、元気でいたい。
(_ _).。o○
脳を使う話をしていたら、末っ子が、
「スマホやゲームのやり過ぎで、頭が悪くなるっていうのは、どうなんだろうか」
と言い出した。クラスメートの大半は、親にゲームやスマホ使用時間を制限されたり、禁止されたりしているのだという。
我が家では、子どもたちが小さい頃から、そういう制限は全くしてこなかった。
ゲームやスマホ、ネットへの依存症が、深刻な状態になれば人生を壊す場合もあるということは知っているけれども、そうなるかどうかは個人の資質によるところが大きいと思っていて、うちの子どもたちは、まず大丈夫だと見ていた。
その判断は、当たっていたようで、制限せずに育てても、3人とも依存症にはならなかった。
長女さんは、小学生の低学年のころ、ゲームボーイなどのRPGをやり込むことで、速読技術を鍛え、効率よく作業するための分析や工夫を身につけていた。学校にほとんど通っていないのに、文章を読むことに苦労がなかったのは、ゲーム端末のおかげだと思う。残念ながら、その後抑鬱が重くなって、ゲームも読書も難しくなってしまったのだけど、幼い頃に身につけたものは大人になってもしっかり残っている。
末っ子は、元からそれほどゲームにはハマらない子どもだったけど、大学受験を意識してからは、学習系以外のゲームアプリを端末から全て消し去り、今年に入ってからはニンテンドーswitchにも触っていないという。母親の私より、よほど強い自制心を持っている。私など、卒論や修論から逃避してファミコンに没頭していたというのに。
末っ子の「ゲームのやり過ぎで頭が悪くなるのか?」という問いかけには、長女さんの事例に加えて、亭主の話もしておいた。
「大学時代に散々ゲーセン通いして、ファミコンやスーパーファミコンも遊び倒した人が教授になってるんだから、ゲームやったからって頭が悪くなるっていうのは、ないと思うよ」
納得したようだ。