湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

腐女子の万葉集 家持くんと久須麻呂くん

次の三首は、巻四の「相聞」の末尾近くに載っている歌である。

 

作者は、大伴家持
送った相手は藤原久須麻呂という男性。



大伴宿祢家持報贈藤原朝臣久須麻呂歌三首

 

春の雨は いやしき降るに 梅の花 いまだ咲かなく いと若みかも(786)

はるさめは いやしきふるに うめのはな いまださかなく いとわかみかも

 

【普通の意訳】

春雨がざーざー降っているけど、うちの梅の花はまだ咲かないんだよね。木が若すぎるからかもね。

 

夢のごと思ほゆるかも はしきやし 君が使ひの まねく通へば(787)

ゆめのごと おもほゆるかも はしきやし きみがつかひの まねくかよへば

 

【普通の意訳】

まるで夢みたいで、現実とは思えないよ。ああ、なつかしい、いとしい君のメッセンジャーがしょっちゅう通ってくるんだから。

 

うら若み 花咲きがたき 梅を植ゑて 人の言しみ 思ひそ我がする(788)

うらわかみ はなさきがたき うめをうゑて ひとごとしげみ おもひぞあがする

 

【普通の意訳】

 

若すぎて花も咲かないような梅なんか植樹したものだから、まだ咲かないのかとうるさく言われちゃって、困ってますよ。

 


久須麻呂(くすまろ)くんは、「梅」について、何か熱心に問い合わせをしてきているらしい。

 

それに対して家持くんは、うれしいんだか困ってるんだか、ちょっと分かりにくい態度を取っている。

 

「梅」は若すぎてまだ咲いていないと言ったかと思うと、「はしきやし(ああ、いとしい)」なんて、意味深なため息をついてみせ、その次には「梅」のせいで自分が困った立場にあるらしいことを匂わせる。


この二人、一体どういう関係なんだろう。


「相聞」に分類される歌なのだから、作者の家持くんと久須麻呂くんが、とても親しい間柄であることは間違いない。男同士だし、普通に考えれば、友人関係ということになるんだろうけど、でも、なんか、歌のなかには、これって単なる友人の間柄なのか、と言いたくなるような、奇妙な気配が混じっている。


だって、「ゆめのごと おもほゆるかも」で、しかも「はしきやし」なんである。


「はしきやし」は形容詞「愛し」に、間投助詞「やし」がくっついたものだけれど、岩波古語辞典によると、「亡くなったものを愛惜し、また自己に対して嘆息する意に多く使う」表現だという。つまり、ただ「いとしい」というのでなく、ちょっとブルーな方向にバイアスがかかったことばであるらしい。


「梅」についての、久須麻呂くんからの問い合わせのせいで、家持くんは、なぜかブルーになっている。


こっそり覗き見した注釈によると、この「梅」というのは、家持くんの幼い娘のことであるらしい。「うめをうゑて」とあるから、ずっと同居していた子ではなく、ある程度育ってから、なんらかの事情で手元に引き取った子供なのだろう。まだ幼いけれども、そろそろ結婚の話が出始めても不思議ではない少女。久須麻呂くんからの手紙は、「君の娘をもらいたい」云々の問い合わせだったのだろう。


とすると、家持くんがブルーになっているのは、まだまだ娘を手放したくない父親の心境からくるものなのだろうか。


でもそれにしては、家持くんの心情表出は、ちょっと妙である。

 

久須麻呂くんからの頻繁な問い合わせが、決してイヤなわけではない。でもその内容が、娘のことであるのは、どうも面白くない・・・。

 

「ひとごとしげみ おもひぞあがする」の歌には、「こんな小娘のせいで俺が落ち込まされるとは」とでもいいたげな、不機嫌な表情がかいまみえるようである。

 

さらに家持くんは、上の三首につづいて、次の二首をも、久須麻呂くんに贈っている。


-

 又家持贈藤原朝臣久須麻呂歌二首

 

心ぐく 思ほゆるかも 春霞 たなびく時に 言の通へば

 (789)

こころぐく おもほゆるかも はるがすみ たなびくときに ことのかよへば

 

【普通の意訳】

なんかもう、切なくなりますよ。春霞がたなびいている、こんな時に、君からの便りが頻繁にくるのだから。

 


春風の 音にし出でなば ありさりて 今ならずとも 君がまにまに (790)

はるかぜの おとにしいでなば ありさりて いまにあらずとも きみがまにまに

 

【普通の意訳】

 

どうせいろいろと噂になるでしょうから、いずれ君の思うとおりになりますよ。いまはまあ、このままの関係でいいじゃないですか。

 

 


「こころぐく」は形容詞「心ぐし」で、「気分がはっきりしない。苦しく、切ない」というような意味。前の三首では言葉を濁していたけれど、ここではもう、久須麻呂くんとの手紙のやりとりに対して、はっきりと「切ない!」と言ってしまっている。

 

かと思うと「きみがまにまに」と、いずれ相手の思い通りになるだろう、なんて告げている。

 

家持くんの言っていることは、なんだかとても、ちぐはぐだ。


でも、そこには、一貫した、ある感情が秘められているように思えないだろうか。

 


《五首まとめて意訳および妄想》


 ひさしぶりだな。久須麻呂くん。
 手紙は読んだよ。


 僕のところに先日引き取った娘を
 嫁に欲しいということだけど、
 本気なのか?

 

 知ってるだろうけど、あの子はまだ、子供だぜ。
 それなのに、引き取ったとたんに噂がたって、
 あちらこちらからお問い合わせがかかる始末だ。
 母親がきれいな女だったからだろうけどな。

 

 ああ、まだお前には、直接言ってなかったかな。
 もう知ってるかもしれないけど、あの子の母親は死んだんだよ。
 娘だけ残して、あっという間にな。

 

 娘は、たしかにあいつによく似ている。
 だからお前も気になるのか・・・。

 

 あいつと結婚してから、
 お前とは音信不通になったんだったな。

 

 まあ、また昔みたいに、
 お前がこうして連絡くれるようになったのは、
 うれしいけどな。
 
 でもな、
 俺はお前がてっきり・・・

 いや、いいんだ。
 
 お前が本気で娘と結婚したいっていうんなら、
 いずれその希望はかなうだろうってことだけ、
 言っておこう。


 お前からこんなに頻繁に連絡されてたら、
 どうせそのうち噂がたっちまうだろうしな。

 俺の本心?
 まあ、適当に察してくれ。
 

 

家持くんの屈折しまくった歌に対して、久須麻呂くんは、こんな歌を返している。

 

 

藤原朝臣久須麻呂来報歌二首

 

奥山の 岩陰に生ふる 菅の根の ねもころ我も 相思はざれや (791)

おくやまの いはかげにおふる すがのねの ねもころわれも あひおもはざれや

 

【普通の意訳】

私は心の底から、深く深く、思っているのですよ。ほんとですよ。

 


春雨を 待つとにしあらし 我がやどの 若木の梅も いまだ含めり (792)

はるさめを まつとにしあらし わがやどの わかぎのうめも いまだふふめり

 

【普通の意訳】

春雨を待つということらしいね。どんな春雨なんだろうね。まあ我が家の梅も、まだ若くてね、つぼみのままだよ。

 

 


《妄想モードの意訳》


 お返事、ありがとう。

 ふふふ。

 君、何か誤解してないかい?
 僕は、君の娘に求婚したつもりはないよ。

 

 うちにも、ちょうど同じ年頃の息子がいてね。
 君の娘を、その子にどうかと思っただけなんだよ。
 まあ深刻に取らないでくれ。
 息子も、まだガキだからね。結婚なんて先の話さ。

 

 僕の気持ちは以前と全く変わっていない。
 君が、どんな女と付き合おうと、子供をつくろうとね。

 まあそういうことだから、これからもよろしく頼むよ。

 


久須麻呂くんのこの歌に対して、家持くんがどう反応したかは、残念ながら分からない。巻四は、久須麻呂くんのこの歌で終わっている。


この歌をやりとりした頃、家持くんと久須麻呂くんは、二十代後半から三十代ぐらいだったらしい。

 

この歌の贈答から数年後、久須麻呂くんは、父親の引き起こしたクーデターもどき事件(藤原仲麻呂の乱)に加担し、射殺されてしまう。

 

家持くんの娘と結婚させたいと願った彼の息子(藤原三岡)も、一族のほぼ全員とともに、粛清されたという。

 

     


(2005年05月22日) 

腐女子の万葉集シリーズ

 

 

※過去日記を転載しています。

※他ブログに同内容の記事を掲載していましたが、今後、こちらにまとめていく予定です。

 

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