湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

療育教室

息子は現在、二つの療育教室に通っている。

一つ目はABAの考え方をメインとした教室。
二つ目はは、研究によって生み出されたメソッドではなく、長年の障害児療育の経験から子どもの成長と向き合うタイプの教室。

 

二つ目の教室について、少し書いてみる。

その教室の先生は、最重度級の自閉の殻の内側にいた二歳の息子に、マンツーマンの濃密な指導をほどこして、周囲の人とのコミュニケーション可能なエリアの縁まで引きずり出してくれた。

 

もちろん、私たち家族も懸命にがんばったけれど、あの教室の先生方がいなければ、息子の知的な可能性を信じ続けることは、かなり難しかったと思う。


どんななに大変なときも、先生方は一歩も引かずに、息子を引き上げようとしてくれた。抑えようのない自傷や他傷が出ていたときも、すさまじい奇声を一日中上げるようになってしまったときも、根気よく解決をめざしてくださった。何か一つできるようになるたびに、私は先生方と一緒に大喜びした。


就学前は、週三回、その教室に通っていた。私のバセドウ病が悪化して、脈拍が常時120もあるときでも、休まなかった。長期に休んだのは、このあいだ、末っ子の出産を控えて「産休」に入ったときだけである。無事にお産が済んで、レッスンを再開したとき、先生方がみんな出迎えて、末っ子の誕生と、一回り大きくなった息子との再会を、心から喜んでくださった。先生は、まだ新生児の末ッ子を抱き上げて、かつて息子にしてくださったのと同じように、丁寧に言葉を教えようとしておられた。

 

どんな子供であっても、同じようにいつくしみ、可能性を信じて、育てようとする姿勢。その姿勢から、どれほど教えられてきたか分からない。

 

ここの教室に通うことを、お役所の発達相談員に相談したとき、

 

「そんなことにお金を使うぐらいなら、家族で旅行でもしたら?」

 

と言われたものだった。この相談員は、最初の面談のときに、

 

「他県に行けば四百万円ぐらいで終身あずかってくれる施設もありますよ」

 

ということも「教えて」くれたものだった。

 

自閉症の子どもにお金をかけて何かをしても意味がないと、言葉で言わなくても明確に態度で表していた。

 

私はこの相談員に言われた「四百万円」という言葉が、いまでもずっと頭にこびりついている。

 

息子の可能性を蓋をして、そんな終身預かりの施設に入れるために、いまから四百万円を貯金するぐらいだったら、息子の持っている可能性に四百万円全額かけてやる! などと思ったものだ。


今でもその気持ちはかわらない。

 

(2005年05月22日) 

f:id:puyomari1029:20200929192605j:plain

 

 

 

※過去日記を転載しています。