梅雨入りしてから、ずっと雨が続いている。
雨がふると、息子(7歳・重度自閉症)が、ナーバスになる。
理由はよくわからない。
雨に濡れるも、水溜りに突っ込むのも大好きなのに、ピリピリと神経が逆立って、押さえがきかなくなってくる。
こだわりも強化される。
ベランダに洗濯物を干していないと、激怒する。
部屋に洗濯物を干すのもダメ。パニックになる。
しかたがないので、雨に濡れてもいいようなものをダミーとしてベランダにぶら下げ、残りはこっそり風呂場兼乾燥室に干すことにしているのだけど、療育教室の先生はそのやり方を危惧していて、様子を見ながら、少しづつ洗濯物を減らして、小さくしていくようにとアドバイスしてくれる。
療育教室の先生は、抜き差しならないこだわりを維持したまま成人していった自閉の人たちを、数多く見ている。だから、息子のこだわりが、将来的にどんな形で生活を支配していくか、ある程度予想できるのである。それは、縦横無尽に張り巡らされたこだわりに縛られて、息子だけでなく家族全員、身動きが取れなくなっているという、暗澹たる未来像である。
最初のころは、先生にそういわれても、まさかそんな風にはならないだろうと軽く考えていた。なにしろ、幼児期の息子のこだわり具合ときたら、今の比ではなく、すさまじいものがあったからだ。こだわりやパニックに振り回される回数や程度は、年とともにどんどん少なく、低くなっている。
でもよく考えてみると、この前の冬、どんなに寒い日も、私たちは一日中、ベランダ窓を開けたまま過ごしていた。そうしないと息子が泣いてパニクるからである。リビング脇の和室の窓のカーテンは決して開けないし、照明もつけなかった。それも息子の求めに応じてのことである。冷蔵庫には息子の好きなオヤツを必ず入れてあるし、なくなればあわてて買いに行ったりもする。
それがあまりにも当たり前になってしまっているから、変だと思ったこともなかったけど、考えてみたら、ものすごく異常で、不自然なことである。
そんな私に、療育教室の先生は、とびきり悲惨な話を教えてくれた。
先生が受け持っていた自閉症の男の子で、息子のように、こだわり行動を家族とも共有したがるタイプの子がいたのだけれど、家族全員、良かれと思って、たいていのことはその子の好みに合わせて、長年暮らしてしまったのだという。その結果、こだわりはいよいよ強化され、種類も増えて、家族のほうも我慢ならない状態に追い込まれてしまったので、さすがにこれではダメだということになり、父親がその子をたしなめたのだという。ところが、その子は父親よりも体がかなり大きく、力も強くなっていて、力で抑えようとする父親を逆に暴力で撃退し、骨折させてしまったのだという。
それ以来、その子は、自分より体の小さい大人に対しては、好きなだけ暴力を振るって、自分の意志を通すようになってしまったそうである。療育教室にきても、自分を担当してくれる先生の横にすっと立ち、あらかじめ背の高さを比べておいて、相手が自分より小さいとわかると、やはり暴力に出ようとするという。
自閉症の子供が快適であるようにと思いつづけて、子供を、共に暮らせない人間にしてしまうのでは、親として切なすぎる。
息子は、最近では人に暴力を振るうということはないけれど、何かのきっかけでそういう「やりかた」を覚えてしまわないとも限らない。
息子のこだわりにあわせてばかりいたら、息子は、自分以外の人の気持ちや立場に気づく機会を失うことになりかねない。それでは心は育たない。
「末っ子ちゃんの育児もあって大変だろうけど、お母さん、対処できるのは今のうちですよ」
と先生は言った。私もそう思う。
難しいことだけれど、少しづつ、こだわりの砦を軟化させる方法を考えよう。
(2005年06月16日)
*過去日記を転載しています。