前から気になっていることがあった。
だけど調べてみても、分からなかった。
それで、亭主に聞いてみた。
「ねえ、聞きたいんだけど」
「なんや」
「万葉集の時代に、ゲイの人っていたの?」
「え?」
「古い時期でわかんなかったら、桓武帝のあたりでもいいんだけど」
即答できるだけの知識が脳の手元になかったらしく、亭主、絶句。そして、十分ほど脳内検索モードに入ったあと、こう言った。
「たぶん、おる」
仏教が伝来し、寺院というものができたあとであれば、僧侶とお稚児さんの間で、そうした関係が生じていたとしても不思議はないし、おそらく半ば制度的なものとして成立しつつあったのではないかというのが、亭主の意見。そうしたことに触れた記述をどこかで目にした記憶もあるとのこと。
ただしその関係は、恋愛感情に基づいたものというよりも、得度に必要な経済的バックボーンを持たない稚児たちが、自分の立場を確立し、収入を得るために行うという側面が強かったのではないか、と。
仏教、ね。
そういえば、山岸涼子の「日出処の天子」(白泉社文庫全7巻)では、日本における仏教の普及に貢献した聖徳太子は同性を愛する人ということになっていた。幼少期にあのマンガ読んで育った人は、「太子=同性愛の人」というのは史実だと思っているかもしれない。ものすごく説得力のある物語だったから。
マンガの話はともかく、もともと、ここの国の文化は、男色に対する規制意識がキリスト教圏よりもゆるい面はあると思う。男色が行われる町に核爆弾(?)落っことして焼き尽くすような発想は日本の神話や宗教にはない。男色を理由に死刑になったという話にも覚えがない。
そのゆるさが、仏教伝来を境にいきなり生じたものと考えるのは、不自然だろう。もともとそういう下地があってこそ、寺院のなかにお稚児文学の世界が繰り広げられることになったのではなかろうか。
で、なんとなくそういう目でもって万葉集を眺めていると、ときどきあるのだ。怪しいのが。
太夫波 友之驂尓 名草溢 心毛将有 我衣苦寸 (2571)
ますらをは とものさわきに なぐさもる
こころもあらむを われぞくるしき
誰が詠んだか分からないこの歌は、巻十一の、激しい恋の思いをストレートに訴える歌たちの間に、ぽつんとある。
「ますらを」が、苦しんでいる。
理由はおそらく恋だろう。けれどもその相手は、明らかにされていない。歌の中に「君」も「妹」も、いない。親しい友にさえ告白できない、秘めたる思い。そのわけは・・・・。
《意訳 (もはや確信的誤訳)》
気がつけば、いつもの顔ぶれが集まっている。
他愛もないことではしゃいだり、からかいあったり。
なんとはなしにつきあいはじめて、もう長い。
こいつらといると、滅入ってるときでも気が晴れる。
言葉がなくても通じ合う、気のいいやつらだ。
そのなかに、あいつもいる。
俺が落ち込んでいるらしいと聞いて、
さりげなく、仲間を集めて、
なぐさめようとしているのだろう。
「なんだよ。元気だせよ」
なんて言っている。
ひとの気も知らないで。
知られても困るけど。
「なんならお前にも、いい女、紹介しようか?」
「お前の紹介? いらねーよ。どうせ、ロクなもんじゃないだろ」
冗談めかしてかわしながら、胸の痛みに顔を背ける。
お前、女、いるの?
いても不思議はないけど。男から見ても、いい男だし。
悔しいけど。
「まあ落ち込むなよ。どうせ女に振られたか何かだろ。お前結構いい男だから、すぐ次のができるさ」
思わず一発殴ってやる。
ふざけ半分を装うのを忘れずに。
「なんだよ元気じゃん。ま、俺が心配することでもないか」
なんて言って、笑ってる。
やさしいくせに、とことん鈍いやつ。
こんなやつのことで苦しんでる俺って一体・・・・。
すくわれねー。
ちなみに、この歌の前後には、「恋ひば死ぬべみ」とか「見ぬ人恋ふと人の死にせし」などという、死と隣り合わせの激しい恋歌が並んでいる。苦しむますらを君の、その後がしのばれる。
(2005年05月18日)
※過去日記を転載しています。
※同内容の記事を他ブログに掲載していましたが、こちらにまとめていく予定です。