湯飲みの横に防水機能のない日記

色々壊れてて治療中。具合のよくないときに寝たまま携帯で書くために作ったブログです。ほんとにそれだけ。

PDD

息子(3歳)は、PDDだと言われている。

 

PDDというのは、ある専門用語の略称で、いちおう和訳もあるのだが、ちょっとわけがわからないので、とりあえず、この記事では使わないことにしてみる。字面を眺めていて、分かったような気持ちになって中身を深く考えなくなってしまうことが怖いのだ。

 

PDDでもわけがわからないのは同じだが、余計な憶測を生みにくいだけマシである。

 

少なくとも牛の乳頭腫性趾皮膚炎(Papillomatous Digital Dermatitis )でないことだけは、おことわりしておく。 息子は、ウシではなく、ヒトである。あと、Public Domain Document Dataとも関係はない。

 

息子をPDDだと言ったのは、お医者さんである。

さらに、「広い意味のautismだと考えていいでしょう」、といったお医者さんもいる。

 

それで私はPDDとautismが一体どう違うのか、違うとか違わないとかいう前にそれらが一体なんなのかを正確に知りたくて、いろいろな本を読んだり、知っていそうな人々をたずねてまわったりして、ずいぶん努力したのだけれど、とうとう分からずじまいだった。 

 

分かったのは、一般的に行なわれているような医学的な検査では、診断も難しく、治療の方法を考えようとしても、 どうやらラチがあかないらしいということと、 autismは一万人に四人ぐらいだけれどPDDと言われるひとはその五倍以上いるんじゃないかといわれているらしいことと、診断するお医者さんによって、同じ人に対してどっちの専門用語を使うか分からないらしいということと、ほとんど全ての医学的専門家の人々が、

 

「どっちにしろ、一生治らないものである」

 

と考えているらしいことだった。

 

息子は、お医者さんのお勧めで、通院で可能な限りの詳細な検査を受けた。そして、お医者さんたちに、

 

「そんなに悪いところはなかった」

 

と言われた。 「医学的にすべき処置はなにもない」とも言われた。 

それなのに、同じお医者さんたちに、

 

「深刻なものだから、一生治りませんよ」

とも言われた。

 

そんなに悪くないのに、深刻だから一生治らない、というのは、なんだかおかしなことである。

 

「命には別状ないけど全治百年」という、キャイーンのコントがあったけれど、それと同じくらい、この診断は妙である。 わけがわからない。真剣味にも乏しい。よく考える前に、サジだのヤリだのを投げている気配がある。 はっきり言えば、インチキくさい。

 

だから私は、申し訳ないのだけれど、お医者さんたちの「診断」を信用しないことにした。

 

そのかわり、事実の提供のみを求めた。 「検査結果のデータを全部、くださいな」と言ってみたのだ。そしたら「お金が高いから、ダメ」といわれた。貧乏だと思われたらしい。たしかに貧乏だけど、それでもデータはほしいからくださいと言うと、ほんとに何万円かで売ってくれた。うれしかったけど、 やっぱりなんだか料金を倍とられたみたいで、インチキくさいような気もした。

 

それはともかく、手に入れたデータや、いろいろ我流で勉強してみたことを考えあわせて、私は、息子が「治らない」とは思えなくなってきた。

 

ハンディはたしかに、息子のなかに実在している。それが難しいハンディであることは、克服できないまま人生の後半期を迎えるのが常である、という話でも想像がつく。 でもそれは、もしかしたら、方法を慎重に選択しさえすれば、克服できるものなんじゃなかろうか。道筋はものすごく細いみたいだけれど、全くないわけではなさそうだし。 そう思った。

 

で、その後のことを全部書くと長くなるから今の時点での結論というか報告をすると、残念なことに、私の思った方向に沿ってサポートしてくれる「専門家」は少なく、 全否定の方向でぐいぐいと圧力をかけてくる人のほうが多かったのであった。

 

(2001年6月某日)

※過去日記を転載しています。