今回は、金葉和歌集の藤の花の歌。
白河法皇が二度もダメ出しをして修正させたため、「初度本」「二度本」「三奏本」と、三系統の本が存在しているという、めんどくさい歌集でもある。(三回目が「三度本」じゃなくて「三奏本」なのもめんどくさい)
白河法皇というと、私の脳内では女好きで男好き、しかも自分の孫(鳥羽天皇)の嫁と不倫して子どもまで作る大変態のイメージを確立している。
大河ドラマ「平清盛」では、清盛の実父でありながら、清盛を産んだ愛人を惨殺する非情な人物として描かれていたけれど、変態爺さんにしか見えなかった。(´・ω・`)
そんな白河法皇が作らせた、こだわりの歌集ということで、ちょっと色眼鏡をかけて見たくなるのだけど、ここのところ集中して探している藤の花の歌が九首も掲載されているので、一応色眼鏡を外して読んでみることにした。
院の北面にて橋上の藤花といへる事をよめる
大夫典侍(たいふのすけ)
色かへぬ松によそへて東路の常磐の橋にかかる藤波
(いろかえぬ まつによそえて あずまじの ときわのはしに かかるふじなみ)
金葉和歌集 巻第一 春歌 81
*院の北面…白河院の御所を警護する武士の詰め所。といっても、武士だけがいるわけではなくて、創設当初は白河院の近習や寵童(ボーイズラブのお相手)もいたらしい、とWikipediaに書いてあった。
北面で歌合を開催したこともあったようで、その時読まれた歌が、金葉和歌集に掲載されている(1116年の白河院鳥羽殿北面歌合)。
平清盛の父(忠盛)や祖父(正盛)は、北面武士の筆頭として地位を確立していた。
*東路…京都から東国方面に向かう道。
*常磐(ときわ)…岩のように永遠不変であること。また、木の葉が常緑であること。
【だいぶ話を盛ったねこたま意訳】
藤の花といえば、松の木に寄り添って咲く姿を愛でるのが常ですけれども、近江の国の常盤の橋にも、見事な藤波がかかるとか。
常緑の松の木。
朽ちることのない常盤の橋。
藤の花が好んで寄る、これらのものこそ、上皇様の御世(みよ)を象(かたど)のにふさわしいものではないでしょうか。
この院の御所の北面に集い、上皇様の覚えめでたき皆様のお姿も、あたかも磐石な松の大樹や永遠不変の常磐の橋にガッツリ絡みついて咲き乱れる、無数の藤の花房のようでございますねえ……
いえ、皮肉ではございませんのよ。
皆様こそが、上皇様の御世を支える大切な方々でいらっしゃると、私は申しておりますの。
え?
藤原さんばかりじゃなくて、平(たいら)さんや源(みなもと)さんもいるし、むしろそっちの方が多いんだから、全員を「藤」の花に喩えられるのはおかしいですって?
そんな細かいことは、よろしいじゃありませんの。ご寵愛が深くて大変に盛っておられる藤原さんも、こちらにはいらっしゃるのですから。おほほほほほ。
(_ _).。o○
歌の作者の大夫典侍(たいふのすけ)は、平安時代後期の女官で、堀河天皇の後宮に入って悰子(そうし)内親王を産んだ女性だという。
Wikipediaで、悰子内親王の記事を確認したところ、彼女の母親について、
とあった。康資王(やすすけおう)は、花山天皇の曾孫なので、大夫典侍は花山天皇の玄孫ということになる。
女房名が大夫典侍なので、父親か夫が「大夫」だった可能性があるけど、娘の父親である堀川天皇は大夫ではありえない。父親の康資王が、一年ほど「右京権大夫」の職にあったようなので、そこからとったのかもしれない。
皇族につながる血筋を持ち、典侍の職にあり、天皇の後宮に入って子を成すほどの寵愛を受けた女性。
才色兼備の魅力的な女性だったのかもしれない。
彼女が悰子内親王を産んだのは、1099年。
金葉和歌集には、もう一首、大夫典侍の藤の花の歌があるのだけど、なぜかその歌も、「北面」で詠まれている。
新院の北面にて藤花久匂といへる事をよめる
大夫典侍
藤波は君が千年を松にこそかけて久しく見るべかりけれ
(ふじなみは きみがちとせを まつにこそ かけてひさしく みるべかりけれ)
金葉和歌集 巻第五 賀歌
326
*新院…鳥羽院。
鳥羽天皇は、父親の堀河天皇が崩御(1107年)したあと、たった五歳で即位。
1123年に、息子の崇徳天皇に譲位したけれども、実権は祖父の白河法皇が実権を握っていた。
1129年に、目の上の巨大なたんこぶだった白河法皇が崩御すると、鳥羽上皇は院政を開始して、白河法皇の側近だった人々(藤原さんたち)を排除し、鳥羽上皇の側近(藤原さんたち)で重職を固めたという。
大夫典侍が鳥羽上皇の「新院」で藤の花の歌を詠んだ時期は分からないけれど、白河法皇が編纂を命じた金葉和歌集(1124年に初度本成立)に掲載されているのだから、白河法皇の生前、つまり譲位した鳥羽院が実権のない「お飾りの院」状態だったころということになる。(1123年〜1124年)。
白河法皇の院政末期の「北面」には、武士団を持つ軍事貴族が多く集まり、政治権力を持つようになっていたという。
*かける…動詞「かく(懸く・掛く)。垂れ下がる。もたれさせる。かける。待ち望む。託する。
【妄想多めのねこたま意訳】
大海原の波のように、壮麗に咲き誇る藤の花々…
やはり藤波には松ですわね。
いくら硬くて丈夫でも、橋じゃだめでした。
だって、どう考えても千年は持たないでしょう、橋は。川にかかってるんですもの。
そりゃ、橋にからんで水面に映える藤の花は、この上なく美しいものでございますよ。
でも台風で増水でもしたら、絡んでる藤ごと流れちゃいますから。長寿の願掛けどころじゃありません。
見栄えのよさだけで頼る相手を選んだら、人生失敗しますわね。
昔の私はそういうところを分かっていませんでしたわ。
私を寵愛してくださったお方なんて、三十路前にあっさり逝ってしまわれました。優雅で美しくて、本当に素敵なお方でしたけれども、生まれつき病弱でいらして……
早死、ダメ、絶対!
長生き最高!
というわけで、私、松を強く推しますの。
人の寿命よりはるかに長い歳月、おんなじところに生えてます。松にからめば藤も安泰。
見た目がごつごつして、色気がなくてむさ苦しくても、強くて丈夫なのが一番。
以前に北面で藤の花の歌を読ませていただいた時よりも、顔ぶれが、だいぶマッチョ方向にシフトしたみたいですけども、私、大変結構なことだと思いますのよ。
なんとなく藤の花っぽい方々が減ったような気がしますけれども、それもまた時代の流れということでございましょうか…
というわけで、ゴツくて立派な松の大樹に寄りかかる(だいぶ減った)藤の花々に思いを託しつつ、上皇様のご長寿を、心からお祈りいたします。
(_ _).。o○
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